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博多から京都まで

2018年3月9日 台湾嘉儀 ランタンフェスティバル


肩につめたい 小雨が重い

思いきれない 未練が重い

鐘が鳴る鳴る 哀れむように

 

二度も三度も 恋したあげく

やはりあなたと 心に決めた 

汽車がいくいく 瀬戸内ぞいに

沈む気持ちを振り捨てて 

 

京都から博多まで あなたを追って

今日も逢えずに泣く私。

 

これはご存知、あのどこかで謎を秘めた妖艶な歌手藤圭子が歌った「京都から博多まで」の歌詞の一部です。今の世代は藤圭子よりもその娘宇多田ヒカルなのでしょうが、ふとこの歌の事を思い出しました。

思い起こせば藤圭子の半生は前川清との結婚、離婚、アメリカでの大量の米ドル持ち出し、突然の死など、とかくドラマチックで謎めいたものでもありました。さらにあの独特のハスキーな歌声は一層の何やら秘められたものとして伝わってきました。とは言っても私は、何も藤圭子のファンでも特別の思いが有るわけでもありません。ただ単に「京都から博多まで」という歌を思い出したからに過ぎません。それは友人トシユキ君のある唐突な出来事によるものからなのです。

 


 

少年時代からの友人トシユキ君は先月どういう風の吹きまわしか、突如、生まれ育った福岡の住まいを引き払い、家族もろとも京都へと転居したのです。つまり「博多から京都まで」。トシユキ君この決断はまさに唐突で、その動機を思うに少しばかり不可解な謎に満ちた決断に感じたのです。ここに、謎多き藤圭子とその歌「京都から博多まで」が重なって、冒頭の歌詞を思い出したのです。

 

話は少し遡ります。昨年11月の福岡帰省時に彼と一緒に立ち寄った宮地嶽神社の境内に、今年の厄年と共に注意すべき生まれ年として「九星学上の'一白水星’は今年(2017年)は八方塞がりで身動きできない」との立札が有ったのです。トシユキ君と私は同じ年の一白水星。本当は予定していなかった宮地嶽神社に来たのも何かの定め、しばしこの「教訓」を頭の中に留めておいたものでした。ただ、この九星学上の「お告げ」によれば、立春過ぎには新たな「定め」が始まり、我々一白水星は隆盛な一年になろうとの事なのです。トシユキ君から、転居の葉書が届いたのは立春をすぎてほどなくでした。昨年の帰省の時にも、なにやら謎めいたヒントは語っていたのですが、その時は、先を見越してのホームにでも入居でもするのかな、と漠然と思っていました。一般的には故郷を離れた多くのシニア層は、リタイア後はUターンして故郷を目指すのが多いはずですから。

 

 

彼は京都に移った本当の理由を明かしてくれません。その行動を開始した時期が九星学にちなんだものであるかどうかも分かりません。むしろそれは最近とみに増えてきた私の「妄想癖」かもしれません。しかし、普段は時には神の啓示さえも私に教えてくれるトシユキ君が、今回の事については多くを語りません。彼が語ったのはたった一言、曰く「古池や かわず飛び込む 水のおと」。かれは心境をこの句に託したのです。トシユキ君はこのように色々な謎かけをして我々を翻弄する喜びを持ち合わせているのです。

 

 

私は、ここでこのトシユキ君の謎かけに応える事にしました。つまり、謎には謎で。とは言っても、トシユキ君の様に俳句で謎を暗示する術は待ち合わせていません。かと言って和歌、短歌、都都逸、講談、漫談、ポエム、どれも才能あるわけではありません。そこで思いついたのです。やや苦し紛れですが、せっかく「京都と博多」のキーワードで強引に藤圭子との重なり部分を論じた手前、それにちなんで、私なりにトシユキ君に成り代わって演歌のようなものを作詞してみたのです。しかし、この歌詞の情景は現在ではありません。半世紀ほど遡った情景、つまり、黙して語らないトシユキ君の京都転居の原点がここに有った筈だとの妄想を込めて、若き頃のトシユキ君に成り代わって・・・・。題して「博多から京都まで」。笑う

 

涙を溜めて早鞆(はやとも)渡る

泣きはしないと決めたのに
都大路の迷い橋 3条5条と面影追って
決めた道のはずなのに
一夜の吹雪が足跡消して

佇み見れば二つの影が

光りの中に揺れ動く 

小鳥かくまう流れのように

あなたの面影消えていく

博多から京都まで

冷たい雨が降ればいい

博多から京都まで

冷たい雨が今はなぐさみ 

 

ピース グッド 笑う

 

 

写真はいづれも台湾で毎年一度開催されるランタンフェスティバルです。今年は2月5日から11日までの期間に開催されました。

 

 

 

 

 

 

 

  

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柳瀬川の冬


     柳瀬川土手から見た朝の富士山

 

我が家の前には柳瀬川と言う川が流れている。この川は家から2キロ下流で新河岸川と合流しさらに2キロで荒川に合流する。又、一部は東京都内を流れる隅田川にも通じている。歩いて健康を保つことが一つの「仕事」とする私にとっては、この川の土手がある環境は信号もなく、立ち止まることなく歩ける格好の仕事場である。数年前まではここを歩く時間は早朝であった。特に冬の朝は土手から雪を抱く富士山がくっきり見える。ここから見る富士は前方に鉄塔やマンションがあるものの、角度的に都内から見るよりも裾野の方まで見える。ただ、最近は夕方の日の入りの頃を目指して歩くようにした。朝の景色は少し見飽きたことも有るが、夕方の赤く染まった夕焼けを背景として富士山がシルエットの様に浮かぶ様は写真的には変化が有って面白い。日の落ち方によって、雲の動きによって、日々の移ろいによって背景の夕焼けの色が変わる。ともかくも、私のこの歩く「仕事」はよほどの悪天候でない限り、わりと勤勉に続けている。

 

 


    土手から見た夕暮れの富士山

 

所が、1月の大雪にこの「仕事」が出来なくなった。雪が降ったのは1日だけだが、低温が続き土手の雪が一向に融けなかったからである。大雪の影響が死活問題の本物の「仕事」をしている人に対し、たかが歩く事が自分の「仕事」と自認することはいささか不謹慎だが、とにかく歩ける体力を保つことが、他人を煩わす時間や公私の出費を減らすとすれば、今できる事の一つだとの思いである。

 


 いつもの散歩道  柳瀬川土手 18.01.22

 

さて、この大雪での「仕事」の欠勤は2週間ほど続いた。漸く「仕事」が再開できたのは2月4日。雪解けが進み、やっと土手も普通に歩けるようになった。そして、その前日、福岡のトシユキ君から届いたメールを思い出した。

「いよいよ明日は2月4日、立春。塞がっていた扉が開きます。今夜は皆既月食で・・しばらくすると・・また天の天戸が開き、天照皇太神がお出ましになります」。

トシユキ君は時々神の啓示を受けて私に伝導してくれる。九星学で私と同じ一白水星のトシユキ君は八方塞がりの呪縛が間もなく終わることを伝えてくれた。九星学は立春を境に年が変わるのだ。なるほど、雪で閉ざされた八方塞がりの仕事道は、立春のその日に道が開けた。時々ウインクペコちゃん 手

 

     柳瀬川土手 18.01.22 
 

もっとも、一白水星は日本の総人口の9分の1、即ちおよそ1千3百万人の人々が八方塞がりの危うい立場になるなんてナンセンス・・・。って事になるのであろうが、もうこの歳に至れば、神々の啓示、運勢学、占い、迷信、ひいては健康診断に至るまで、都合の良い所だけを捉えて、いかに楽天的に生きるかが、本当の「仕事」だと思う今日この頃でありまして・・・。 今年の九星学の一白水星は力強い1年となる・・・・らしいのです。グッド おじぎ 

 

    自宅横 18.01.22

 

 

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     写真展出展のお知らせ

 

今年も我が写真クラブの写真展を下記の要領で開催します。ついでの際にでもお立ち寄りください。

 

1.名称:第18回 写写塾写真展 「自然と共に・・」

2.期間:2018年2月16日(金)〜2月22日(木)

  時間 平日10:30〜19:00

     土日11:00〜17:00

     最終日10:30〜14:00

3. 場所 : 富士フォトギャラリー銀座

              東京都中央区銀座1丁目2-4

     サクセス銀座ファーストビル4階

     クリエイト銀座本店

4.アクセス:メトロ銀座線「京橋」3番出口徒歩1分     

       メトロ有楽町線「銀座1丁目」7番出口徒歩1分

  URL  http://www.prolab-create.jp/gallery/ginza/ (URLの下方に地図が有ります)
 

        

写真に風景興味おありの方、ご来場お待ちしています。(私は日曜日は会場にいません)。

 

瓜生。

 

                    2018年1月26日 日比谷公園    
 

 

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八方塞がり

福岡県篠栗町 九大の森 2017年11月

 

今年もあと3週間。振り返ってみると、このブログの更新はこれまでにわずかに2回。昨年は9回、一昨年は12回、さらに3年前には18回更新しているから、漸減から激減へとなってしまった。この間、何か特別大きな変化が有ったわけでもない。

 

この様な習慣の変化は、何もブログ更新の減少だけではない。毎日のウオーキングや朝のストレッジ体操は自分自身へ何かの好都合な理由を思い浮かばせてはその回数を減らし、電車では読書やヘッドホーンを付けて何かを聞くことよりも目を閉じて睡眠。つまり色々な事が「なんか面倒だな」と思うようになってきている。寄る年波だろうか?

それでも私は多分、歳の割には老いに抗う事を幾つか実践している方だと思うが、その幾つかが減りつつあるのだろう。しかしそれを「寄る年波」と悟ってしまうにはなんだか抵抗を感じる。ならば、抗ってみるか。

 

 篠栗町 伊野神社 2017年11月

 

思う事がある。今まで計画倒れになっていた小さな冒険を実践してみることにした。先月、急に所用が出来て福岡に行った。往きは新幹線を使ったが、帰りは「夜行バス」で帰る事にした。福岡から東京まで夜行バスで14時間。普通の爺さんはこの14時間の、しかも若者向けの夜行バスに乗る発想はない・・・はずだ。歳に抗う小さな冒険。ヤッタv車

 

夜行バスに乗ってみたいと思っていたのは、関西に住む知人が時折夜行バスで上京していることを聞いて、50年前の九州から急行列車で20時間以上かけて上京したことに重ねたのだ。窓枠にワンカップの酒とつまみを乗せて、チビリチビリと飲みながら移り行く夜景を眺める、頭の中で流れるのは演歌・・・・。夜汽車に乗って。おどろくドゥラ

 

 福岡県 糸島市 雷神社 2017年11月

 

だが、50年の歳月の経過は、心の旅路を風化させ、無機質な景色へと移ろい、演歌の世界は遥か彼方へとを遠ざかっていたのだ。

夜行バスの中は座席の左右はカーテンで仕切られ、朝の7時まで窓側のカーテンは開けられず、車窓の景色は味気ないただの布切れの幾何学模様に変わっていた。この暗く狭い空間の中での14時間はかなりの忍耐を強いられる。ヘッドホンでお録音したサンドイッチマンのお笑いを聴きながら寝るしかないのである。さらに厄介なのは避けられない年波の症状、安眠できない中ではトイレが近くなる。これも50年前にはなかったストレス。後悔の中で残ったのはただ尻の痛みだけ。しかしそれでも、年波への抗いはちょっとは成し得た、と自分を慰めるしかないのである。おじぎ

 

 

閑話休題

福岡に滞在中、トシユキ君と宮地嶽神社に行った。その境内に厄年の該当年齢の他に、九星学での一白水星生まれの者の厄払いの案内がでていた。一白水星は2017年は陰陽学上、八方塞がりの年で「何をやってもうまくいかず、新しい事をやってはいけない」とある。

私はその一白水星の生まれである。なるほど、夜行バスの旅は今年はやらない方が良かったのかもしれない。ちなみに、この八方塞がりの歳の抜け道は「何もしない」ことらしい。すると、ここ数年の「なんか面倒だな」症候群は正しい選択だったのかも知れない・・・・。ただ、私は元来この種の「運命学」はあまり信用しない。一白水星の人間はこの世界にあまたいる。人それぞれ一様の宿命にあるわけではない・・・。そう思っていた。

 

  糸島市 雷山観音

 

八方塞がりと言えば現在の角界。中でも貴乃花親方の頑固さはちょっと信じがたい程だ。彼の頑なさは自分自身の立場を益々窮地に追い込むだけの様に見えて仕方ない。まさに八方塞がり、どう打開させていくのだろう。もしや彼は?八方塞がり?興味半分のネット検索をしてみた。なんと彼は本当に一白水星の八方塞がりの年だった。道理で動かない。ならば、ついでにもう一方の当事者、八角理事長も検索してみた。えっ!彼もだ。八方塞がり同士のがっぷり四つの膠着状態。これじゃ埒が明かないはずだ。運勢学も正しい運勢を表しているようだ。ならば、も一つついでに貴ノ岩。ワーオ!貴ノ岩も一白水星。

金縛りの現状はこれで理解ができた。打開策は「何もしない事」らしい。とりあえず、八方塞がりの呪縛が解ける来年の節分までしばし「水入り」で開運を待つ。この事を相撲協会に伝えるべきかな。フフフ・・・。笑う

 

こうやって、情勢を運命学的に見てみると九星学の「お告げ」もまんざらではない。自分は信じないと言っていた運勢学も見方を変えてみるか。ならば、八方ふさがりの呪縛から解き放たれる来年こそ「年波」の波をうまく乗り切って、再び何かの小さな冒険に挑戦していきたい。

 

終り

 

  篠栗町 伊野神社

 

 

 

 

 

 

 

  

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アオバトの習性

   2017年8月26日 大磯 照ヶ崎海岸 

 

ふと思いついて8月の早朝、大磯の海岸にアオバトの写真を撮りに行った。

このアオバトは普段は山の中の樹林の中に生息するのであるが、夏から秋にかけては海岸に現れる。海岸に現れる理由は塩分やミネラルの補給の為であるらしいが、ちょっと不思議なのは現れる場所は必ず同じ海岸の同じ岩礁だという事だ。大磯のアオバトは30キロほど離れた丹沢の山の中から飛来して決まって同じ岩礁に留まる。アオバトのDNAの中に個体を健全に育てる為に岩礁との相性をはぐくみ、習俗を作り上げたのであろう。

 

 

アオバトの棲家の丹沢からこの大磯の海岸は近い、付近には適当な岩礁もなく、海水を飲んだり浴びたりするには絶好の場所なのであろう。この距離的近さとおあつらえ向きの岩場から、いつも同じ海岸の同じ岩礁を目指すのであろう。

 

しかしふと考える、この近くでは適当な岩礁はここだけの様である。もしこの岩礁が津波か何かで消滅したら、あのアオバトは何処に行くのであろうか。有ったはずの梯子が無い。一瞬にして失った長年の習俗の変化は一大事に違いない。広い海を見つめながらそう考えた。

 

 


ー閑話休題−

私は、高めの血圧、血糖値抑制の為に10数年来近くの病院に行って薬の処方箋を貰っている。現役中は転勤や医者嫌いで、そもそも病院に行く事は無かったのだが、寄る年波にはいつまでも抗しきれず、今はいつも決まった病院に定期的に行っている。この病院の先生は私と同年輩の穏やかな方で、なぜか心が休まる。血圧測定の時も他の病院では生じる白衣高血圧は無く、むしろいつもより低いくらいだ。血液検査の際も結果が出る前に「あなたは問題ないよ、顔色みればわかる」と予言してくれた。果たして血液検査の結果は血糖値も改善し、先生の予言通りとなった。先生の医療技術の腕前は分からないが、医は仁術、そう思わせるものが有る。

 

ところが先日、いつもの薬の処方箋をもらうべく診察を受けに件の病院を訪ねた所、病院のドアの前には「都合により休診します」との張り紙が有った。休診から2週間。すでに薬の在庫は無い。ま、持病と言っても自覚症状は全くないし、1か月くらいは薬が無くても何とかなるとは思うが、そうは言っても先生の復帰の見通しはわからない。どうするか。戸惑いながら3週間目を迎える。何だか健康保持の為の梯子がどこかに行ったようだ。

 

 

こうやって、あのアオバトの岩礁消失の仮定の物語を思い出しながら、私の掛かり付け病院の突然の休診という、どちらも梯子を外されたような、他愛のない連想を重ねた。

 

最近、このような他愛のない連想が頭をよぎる。それはきっと老いからくるものかもしれないが、もう一つ、現役時代のようなストレスが無くなったせいでもあるのだろう。今までは無意識の中に流れて行っていた多くの些細な事を、最近は何かと人生の流れの中に関わらせていくような事が有る。つまりはそういう時間が生まれたのかも知れない。それはそれで脳を活性化させる一つの脳トレ・・だと思っている。

 

ただ、妄想、幻想、錯覚、ひいては幻影、幻像、イル―ジョンに陥らないように気を付けながら・・・。

 

 

 

久々のブログ更新は決して妄想、幻想、錯覚が高じたものではない。そろそろ「何も便りが無いと、あー、あの人はいい人だったのに」って言われそうで、ただ怠惰になりがちな最近の生活にちょっと変化球。まだ「いい人だったのに」とは言われたくない

                                          2017年10月11日

 

 

 

 

 

 

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人生バランス論

 2017年 1月25日 山中湖 ダイヤモンド富士

 

今年も早くも2月、正月以来、何となく過ぎた日々では有りましたが、幾つかの出来事はそれなりに我が人生訓に思い至る思いがけない事でした。

つい先週、私は所用で、ある高速道路を走っていました。その時何を考えていたかは思い出せないのですが、とにかく無意識に追い越し車線に入り、数台の車を追い越して、全く自然に走行車線に戻って走っていました。その時、確かに無意識ではあったのですが、追い越した車数台のスピードがやけに遅いな、とだけは微かに感じたのです。そして走行車線にもどった時は、例えばサッカーでのオフサイドトラップに掛かったような、ちょっと不安な気持ちが湧いていたのです。

 

       山中湖

 

その不安は的中しました。ふと横を見ると、いつの間にか屋根に赤色灯を点けた1台の車の助手席の男が、私に向かってマイクでこう言うのです。「はい、シルフィの運転手さん、この車の後についてきてください」。そして、数百メートル走った道路の退避スぺ―スに車を誘導されたのです。それは、まさにテレビで時折見る、「警察密着シリーズ」そのものの情景でした。「23キロオーバー、罰金15,000円」。私は制限速度80キロの高速を103キロで走っていたらしいです。30年ぶりの日本での違反、そして帰国以来15年間保ってきたゴールド免許が消えた瞬間でした。それにしても、あの退避場所の適宜を得た場所、あれはまさに警察がオフサイドトラップを仕掛ける絶好の位置に違いない。まんまとそれに引っかかったのだと、悔やまれるのでした。

 

 

こうして、年男の今年の出だしは必ずしも順調ではなかったのですが、本当はこの出来事はそれほどショックでもないのです。

話は一か月間に遡ります。今年もらった年賀状のお年玉くじで2等があたり、3等の切手シートも5枚と例年よりも多く当たりました。この他にもいくつかの思いがけない実入りが、年男の新年を飾ってくれたようで「これは春から・・・」と思っていた半面、心のどこかで、この幸運も清算することになるな、っと思っていたのです。

 

    西湖近く 野鳥の森公園

 

これまでも、何度か書きましたが、私の人生訓の一つとして「損得バランス」が有ります。何も金銭だけの事ではなくて、様々な事象についても、山あれば谷、損有れば得、と、どこかでバランスを整えてこそ人生だ、と戒めとも自嘲と分らない、心の片隅の哲学なのです。


     河口湖

 

そして、思うのです。あの車の罰金は15,000円、年賀状の2等と3等のお年玉景品の金額換算総額はどう見ても4,000円弱。金銭貸借上の損得バランスはマイナス11,000円。つまり、バランスするにはまだ幸運の余裕がだいぶ残っている・・・、って事で。手グッド

 

 

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    写真展のお知らせ

 

今年も我が写真クラブの写真展を下記の要領で開催します。ついでの際にでもお立ち寄りください。

 

1.名称:第17回 写写塾写真展 「自然と共に・・」

2.期間:2017年2月10日(金)〜2月16日(木)

  時間 平日10:30〜19:00

     土日11:00〜17:00

     最終日10:30〜14:00

3. 場所 : 富士フォトギャラリー銀座

              東京都中央区銀座1丁目2-4

     サクセス銀座ファーストビル4階

     クリエイト銀座本店

4.アクセス:メトロ銀座線「京橋」3番出口徒歩1分     

       メトロ有楽町線「銀座1丁目」7番出口徒歩1分

  URL   http://www.prolab-create.jp/gallery/ginza/

                      (URL の中に会場の地図が有ります)

 

ご来場お待ちしています。

瓜生真二郎。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

http://www.prolab-create.jp/gallery/ginza/

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雲南シャングリラの旅(2) もう一つの景色

 今年のベストショット梅里雪山(6,740メートル)16年10月22日 

 

今回の雲南旅行では、数々の素晴らしくエキサイティングな光景に出会うことが出来ました。とりわけ、梅里雪山の日の出の神秘的な光景を始め、氷河展望台からの雄大な眺め、牧歌的なシャングリラ、チベット寺院松賛林寺の荘厳な佇まい等、十分に旅行の価値を実感することが出来ました。しかし、万事がすべてうまくいくはずもありません。この種の旅の常として、期待を裏切る光景や情景もいくつかありました。今回はちょっと失望遍です。

 

     2016年10月19日 麗江の夜景

 

失望の初めは麗江の街でした。もともと麗江は雲南・四川のお茶とチベットの馬を交換するいわゆる「茶馬街道」の拠点として宋代の初期から元代にかけて発展した古都なのです。つまり、今から700〜800年前の事。そこには素朴な人々の交歓の場が有ったに違いないのです。確かに郊外の高台から見下ろす黒レンガの家並みは、その時代を偲ばす景観です。しかし、その黒レンガの下の家々のほとんどすべてが、何らかの商いをする現代的なたたずまいで、ちょっとばかり厚化粧の、まるでどこかのテーマパークにでも来たような違和感に陥ります。さらに、夜のライトアップの時間ともなると、どこから集まるのか大勢の人々でごった返し、往時の情緒を偲ぶよすがは何もないのです。もっとも、私自身も観光客の一人として、その「大勢の人々」を構成しいる一人ではありますし、それを求めるのは外来者のわがままなのかも知れませんが・・・・・。

 

 

麗江には街中をこのような水路が方々にあります。

この洗濯場は一番上の区切りでで食べ物を、次は食器を

そして一番下では衣類や靴を、と使い分けています。

 

そしてもう一つ、今回のツアーで最もエキサイティングな行動の一つに玉龍雪山展望の4,506メートルの高地まで行く事がありました。それは、5年前の九塞溝への道で通った4,200メートルをしのぐ人生のの最高到達点であるはずでした。果たして古希を過ぎたこの身に、この高さに耐え得るかどうか一抹の不安が無いでもなかったのですが、好奇心の方がそれに勝り意気込んで臨もうとしたのです。所がなんと、旅行前に旅行社から知らせが有って、そこまで行くケーブルカーが保守点検のために運休。4,500メートルへの未知への体験は空振りに終わったのです。そして、今回のツアーの最高地点は4,294メートル、過去とほぼタイ記録にとどまったのです。

 

長江(揚子江)上流。メコン川、サルウイン川、との3江

併流場所。金沙江第1湾(オメガ商標に似ているから別名オメガ湾)

 

失望ついでにもう一つ。今度は自分自身の写真撮影技術です。この旅行に行く1か月前、写真塾のメンバーと乗鞍高原に撮影旅行に行き、そこで満天の星の撮影テストを行い、それなりの収穫はあったのです(10月の「どこかの秋に」に掲載)。そして徳欽のホテルの梅里雪山が臨める場所で、満天の星の撮影機会が有ったのです。ホテルで夕食後、私はちょっと専門家ぶって「星空撮影をしよう」と同行したMさんと、ツアーの中の唯一の若い女性Gさんとそのお母さん、同年輩のMIさん夫婦を誘ってホテルの屋上に上がって撮影をしました。長時間露光すれば梅里雪山の白い稜線の上に満天の星の輝きが写り、帰国後の写真コンテストの応募写真の最有力候補として、十分に手ごたえを感じるロケーションでした。

 

金沙江の虎跳渓。長江の中でも川幅が狭く

虎が飛び越えて渡ったという伝説がある。

 

ところがなぜか、30秒露光したはずの画面には何も映らないのです。乗鞍高原で映した手順どおりのはずですが、シャッターをマニュアルにしてもオートにしても、ケーブルリリースを付けても外しても、画面は真っ黒のまま。一緒に星空撮影に行ったメンバーには、それまでは、昼間に撮った写真を見せて、ちょっと得意げになっていた「私の専門性」が瓦解した瞬間でした。同部屋のMさんから「Gさんにいいとこ見せようとし過ぎて手順が空回りしてんじゃないの?」と揶揄されるばかりでした。

そして二日目の夜にも密かにリベンジを試みたのですが、やはり状況に変わりありません。どこか、肝心の何かの手順が飛んだのでしょう。写真コンテストへの出品も断念です。写真撮影の未熟さを痛感しつつ絶好のロケーションを前に、何だか大きな魚を取り逃がしたようで、ちょっと無念・・・・。


雲南省に住む各少数民族のデモンストレーション 玉龍雪山を臨む

屋外劇場。

 

・・・・とまあ、失望することも有ったけれど「人生バランス論」は私の人生訓。いい景色が見られたし、幸不幸、運不運、どこかでバランスしてこそ、精神に均衡が保たれる、と思っているのです。 ‐完- 。

 

   シャングリラでの民族ショー

 

後記−

今年ももう残る所5日。いつの間にか「雲南シャングリラの旅(1)」を書いて2か月近くが経ちました。本来ならもっと早く続編(2)を書こうと思っていたのですが、途中、パソコンが動かなくなってしまい、その回復に手間取っているうちに時も経ち、雲南の旅の思い出が少しづつ遠ざかって行ってしまいました。ともあれ、修復後のパソコンの壁紙としている梅里雪山の写真を見るにつけ、なんとか年内にと思い、漸く続編(2)に着手した次第であります。

 

シャングリアから松賛林寺に行く路線バスの中。プラスチックの箱は

料金箱。一律1元(15円)。乗客はこの中に料金を入れ、おつりが

必要な場合は自分で箱の中から取っていく。この間、運転手は全く

無関心。公共機関の中国の社会主義体制を垣間見る。


今年も1年間、拙いブログを覗いていただきありがとうございました。今年のブログ更新は9回、昨年は13回、一昨年は18回と漸減です。加齢による肉体的な衰えは全く感じないのですが、精神的な気力はどこかで衰退しているのかもしれません。来年はもっと頻度を上げ、せいぜ脳を刺激していきたいと思います。

では、よいお年をお迎えください!カメラ  バイバイ  

 

 

 

 

 

 

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雲南シャングリラへ(1) 神の山 梅里雪山

         写真1 徳欽の村

      写真2 夜明け前の山

1021日、朝6時50分。天気は快晴。その日私は、中国雲南省徳欽(とっきん 写真1)の小高い丘の上から、西に聳える山々を眺めながら、日の出を待っていました(写真2)。徳欽は中国の西の果て、山を越えればミャンマーです。緯度は那覇と同じくらいですが標高は3,500メートル。空気は薄く、気温は8度。朝の冷気が身に沁みます。日の出は725分前後。日の出までまだ30分。でも昨夜見た、降るような星空は、もうとっくに影を潜め、辺りは白々とし始め、山の輪郭も次第にはっきりし始めました。(写真3)

 

          写真3

私がこの梅里雪山を見たいと思ったのは、以前、何かの写真集で見たこの山の凛とした姿、槍の様な尖った頂上から麓に向かって衣がたなびく様に山裾が広がって、優美で神聖な気配がする景観に一目で惹かれたからです。案の定、この山の景観は世界一美しい山ともいわれていることを後で知りました。さらに、チベット教徒の信仰の山で狄世了“とも呼ばれていました。

 

後で知った狎こΠ貳しい神の山“、それはまさに私が最初に写真集で見た印象を裏付けるものでした。そしてさらにもう一つ、ここが、英国人小説家が書いた「失われた地平線」に登場する理想郷シャングリラ(桃源郷 写真4)が近くにある事も、何だかこの名前の響きに誘われるほのかな郷愁と相俟って、よし、中国旅行の仕上げとしてはここだ、と思ったのです。

 

   写真4 シャングリラ郊外 納帕海(季節湖)

 

 ともあれ、その日は快晴。私の周りにも数人の人が集まり始め、日の出の時を待っていました。そして、それはまさに不意に訪れました。連峰の一番高い山の頂に、まるで誰かが突然スポットライトを当てたようにポッと柔らかな明るい光が灯もったのです。日の出です。背後からの日が、槍の様な峰の切っ先に当たりました(写真 5)。

           写真 5
その光景は、想像した以上に劇的で、何だかシャッターを押すことさえ憚れるような神秘の一瞬でした。まず私の脳裏に真っ先に浮かんだのは狹径更瀘“と言う言葉。特に信仰深いわけではないのに、そして、その意味もあいまいなままに、ここが異国の、異教徒の信仰の山であることを忘れ狹径更瀘“とつぶやいていたのです。純粋に、単純にそう思いました。それ以外の言葉は見つかりませんでした。やがて神は首元まで降りると(写真6)、今度は次の高い峰へと姿を移したのでした。(写真7・8)。
          写真 6
          写真 7
         写真 8

神は淡々と一連の儀式の様に峰々を照らし終えると、白い天使の衣を纏って稜線を下って行きました(写真9)。近くにいた中国人の若い女性が「好美!好美!(ハオメイ!ハオメイ!何と美しい!)」と今にも泣き出しそうな声で何度も叫んでいました。

 

           写真 9

 

そして思ったのです。この瞬間を見ただけで、昨日は雲に隠れて見えなかったもう一つの高峰玉龍雪山(5,596メートル)への失望も、連日の早起きも、高めの旅行費も、高山病による軽い頭痛も、うんざりモードの朝昼晩の連日の中華料理攻めも、ホテルのうるさい空調も、汚いトイレも、扉が無いトイレも、流れないトイレも、いやそればかりではない、異国での青空トイレでのキレの悪さも、さらには中国嫌いの友人達の、私の中国旅行に対する誹謗のささやきも・・・それらの全てを包み込めた・・・。と、率直にそう感じたのです。

ー(2)へ続く―。

 

 

        写真 10 (梅里雪山氷河)

 

白范雪山 峠越え 標高4,292メートル

 

 

 

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どこかの秋

  2016年10月7日 乗鞍畳平付近から

 

このブログ、気が付けば5か月以上も更新していない。この間、何度かは書き始めてはいたのだが、これと言った話題も、写真もなく、何となくやり過ごしている間に、あれよあれよとばかりに時が経ち、季節は廻って夏を越え一足飛びに秋になった。が、秋とはいっても今年は長雨が続き、幾つかの屋外活動は天気との兼ね合いを図りながらで、どうも少しばかり盛り上がりに欠ける。もしかしたら、このブログの長期未更新も、天候のせいかもしれない。

 

  円盤の様な物は 蜘蛛の巣 拡大して見てください。

 

そんな中、かねてから予定していた乗鞍高原への写真塾の旅行は、台風の余波も消えて、珍しく好天。いつものこの会は雨にたたられているのに、この雨の多い今年、ジンクスに反して好天の中での活動となったのは、何だかおかしいぞ。そしてやはり、何事かがうまくいかないこの会のジンクスどうり、期待していた紅葉は時期尚早。会の幹事として、一年前の遅すぎた紅葉への反省は、今度は逆に早すぎた反省となって、季節の足取りとの日程調整の課題は残る。

 

    2016年10月6日 乗鞍一の瀬園地

 

しかし、すべてに失望したわけではない。高原の澄み切った空、夜の帳が降りた頃、夜空は満天の星に飾られた。写真塾3年生の私は、これまで星空を撮った事はない。満天の星空に誘われ、天文写真に詳しいSさんに頼んで、星空撮影にチャレンジしてみた。


          30秒露光

 

これでも、自分ではまあまあの出来だと思っている。もう少し準備をしてれば、あの夜空に弧を描くようなの星の軌跡を撮れたのであろうが、標高2,000メートル近い屋外にじっとしているとこの時期でも寒い。今度はもっと厚着をして星空にチャレンジしてみたい。

 

  天の川 後方の山は乗鞍岳

 

それと、近々、もう一度、山の夜空を見る機会が有る。それは、乗鞍高原よりももっと高い、雲南省の山地だ。日中関係はいまだぎくしゃくが残るが、ここだけは以前からに行きたかった。麗江という世界遺産の古い街から玉龍雪山、梅里雪山等々、標高6,000メートル級の山々を展望し、小説「失われた大地」で知られるシャングリラを巡るツアー旅行に参加する。6,000メートル級の山々を展望するには4,000メートルを超える所まで行く為に、高山病との戦いになるが、まだ体力には自信が有る、何とかなる、・・・はずだ・・・。もう一つの秋を見つけに。

 

          乗鞍 畳平より

 

ともあれ、その顛末は、帰国後にまたこのブログで。

 

 

 

 

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柳瀬川の雉

   2016年5月22日 柳瀬川 左岸

それは五月の初めの夕方、いつもの散歩道である柳瀬川の土手を歩いていると、どうも雉に似た鳥の鳴き声が聞こえた。写真愛好家の私としては雉は鳥の中でも最もエキサイトするターゲットの一つだ。いつかの日だったか、友人の情報をもとに、雉を求めて数十キロも離れた所まで追っかけていったことも有る。それがもし,いつもの散歩道に現れたとすると、その興奮は高まる。

しかし、その後数日
、重たい望遠レンズを持って、注意深くあたりを見渡し、耳をそばだてて歩いたが、あの声を聞くことはなかった。やはり、こんなところに簡単にキジなど現れるはずはない。あれは雉に似た別の鳥か動物の鳴き声で、雉を思うが故の幻聴だったのかも知れない。




その後、撮影旅行で数日間留守し、散歩の間隔があいた事で、もう雉の事はほとんど忘れて、カメラも持たないいつもの歩きとなった。そして、その日も、旅行の事などを思い出したり、上空の飛行機雲の動きを見ながら歩いていた。ところが、右岸から橋を渡って左岸に渡ってしばらく歩いていた時、何気にふと川渕に目を移すと、いた! 雉だ! あの雉が!、川の水際のコンクリートの淵の上を悠然と歩いていた。しかもあの五色豊かなオスの雉だ!なんでこんな時にカメラを持ってこなかったのだろう。時々起こるこの種のタイミングの悪さにに臍を噛むしかなかった。それでも、慌てて家に戻り、カメラに望遠レンズを付けておっとり刀でその場所に戻ってみたが、夕刻の30分は鳥の活動の変化を追うには長すぎた。もう水際のあの雉の姿を見かける事はなかった。



それでも次の日、今度はいつもの夕方の散歩ではなく、朝から望遠レンズを持って一日中でも探し求めるつもりで、あの場所に向かった。その心構えが功を奏したのか、あの雉は意外にすぐに現れたのだ。ものの10分もしない内に土手を挟んで反対側の田んぼの畦道にその姿を見せた。望遠を構えて静かに追った。雉は、逃げ足に自信が有るのか。20メートルくらいの近さに近づいても、草を食みながら悠然と歩き、そしてなんとポーズでもつけるように、まるで私だけに見せる特別なショーの様に、田んぼ畦道の上で羽ばたきをし、口を開けて高らかに鳴いてくれたのだ! 私はただ夢中でシャッターを切り続けた。




「キジも鳴かねば撮られまい?」いや違う、雉はきっと言った「私は鳴く、踊る、さあ撮ってごらん」。誰もいない田んぼの中の、雉と私だけの20メートルの空間の劇場。なにも恩を売ってはいないのに、まるで「キジの恩返し」のように、私だけを相手に踊ってくれたのだ。いつの間にか、雉との無言の会話が続いたような特別な不思議な時間だった。もう、何枚シャッターを切っただろう。

その後、あの感動の出会いから既に1週間が経過したが、あれ以来あの雉の姿は見えず、声さえも聞こえない。何だかあれが、たった一日だけの幻のパフォーマンスだったのか、感動の後にしばしば起こる、あの夢と幻と現実の中の葛藤。

しかし、こうして確かに画面には残っている。又いつの日か、あの雉の踊りを見るために、私のいつもの散歩は、しばらくはあの重い望遠レンズのカメラを持って歩く事になるのだろう。


*写真は拡大して見てください。
 
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「無意識」への抵抗
  
        2016年 4月15日 渡良瀬鉄道

 
いつも愛用している小さな歩数計が行方不明となった。縦3センチ、横6センチ、厚さ1センチくらいの小さな物だ。歩く時はズボンかバックのポケットに入れて、夜にはパソコンでの歩数管理の為に必ず机上に置く。このパソコン管理は日記みたいなものだから、旅行にでも行かない限り必ず毎日記録している。見つからなくなった前夜はパソコン入力しているから机上に有った事は間違いがない。そして、私の部屋は妻が洗濯物を置きに来る以外は誰も立ち入ることがない。この翌日、徹底的な捜索をした。すべてのズボンや服のポケット、バック、机の上下、引き出しの中、ベットの下、果てはゴミ箱の中まで徹底的に探したが見つからない。忽然と消えたのだ。忽然と・・・・。



たかが歩数計。例えそれを無くしたとしてもそれほどのショックはない。が、その消失の原因が思い当たらない。悶々が続く。

所が数日後、行方不明の歩数計は全く思いがけない所から発見された。机とは部屋の正反対の数メートル離れた所にある本棚に置いていた病院関係のA4の封筒の中からだ。なぜ、ここから? まるで、トイストーリーのおもちゃ達の秘密の連携プレーのように、秘密裏に全く縁もゆかりもない場所へ歩数計は数メートル動いていたのだ。

一体なぜここから? 確かに最近、ポケットの多いバック等に無意識に財布や携帯電話や本を入れ、果たしてどのポケットに入れたのか、そして、どうしてそこに入れたのか、わが身を疑う無意識の中の事実がしばしば起きる。歩数計もやはり無意識のうちに、だろうか。しかし、これが無意識だとすると、自分への疑いが一段と高まるが。





無意識だけの問題ではない。以前泊まったことが有る温泉の風呂場で、脱衣かごに入れたはずの部屋の鍵が行方不明になり、旅館のフロントを巻き込んだ騒ぎとなった事が有る。フロントの人が探してくれた結果、カギはやはり脱衣かごの中で見つかった。かごの手前の淵に張り付いており、それが死角になって分からなかったのだ。落ち着いて探せば見つかったはずだが、その時、脱衣所にはどう見ても泊り客ではない、浴衣着ではなく私服姿の一見ちょっと怪しげな一人の男が出て行ったばかりで、それが先入観となって「奴は怪しい!」との思いから早合点したのだろう。因みに、あとで分かった事だったが、その「怪しい男」は別の団体のツアーコンダクターで、どうやら風呂場の下見に来ていたらしい 温泉 冷や汗

無意識や早合点。これをシニア的特有現象で括れば話は簡単だ。が、しかし、今回の場合、ちょっと事情が違う。あの歩数計は夜まではいつもの置き場所である机の上に有った事はまぎれもない事実。その証拠にパソコンでの前夜の歩数記録が残っている。
しかしそれでもやはりあれは無意識に入れたんだとしぶしぶ観念し始めた頃に「事態は動いた」。移動の理由が分かったのだ。その日、歯医者に行く為に歩数計を発見した病院関係の書類を取り出して机の下に立てかけていて、ふと見ると、そのA4の封筒の口はかなり大きく開いていたのだ。中に分厚い書類が入っていたせいなのだろう。それは、上から落ちた歩数計を受け止めるには十分な広さだ。そして「あの時」も確かにこの封筒を机の下に立てかけていたことを思い出した。きっと、机の上の歩数計が何かのはずみで下に落ち、そのままあの封筒に飛び込んで行った・・・のだ。やはり、無意識ではなかった。無意識ではないことを意識して、ついにその原因を突き止めた 
拍手

 


そして考える。齢を重ねるとこのような無意識や早合点を「あー、年のせいだ」と安易に結論付ける。それはきっと、人や物との関わりへの機会が減って、その対処が鈍くなって、面倒な思考を避けて、短絡的な思考となってしまうからなのであろう。しかし、今回は[無意識」に抵抗して成果?を得た。まだ私も捨てたものではない。たかが古希の歳。老けるのは早い。アンチエイジングに挑むために、もう一度、自身の振る舞いを意識する。無意識と早合点からの脱却。その為にも、まずは立ち居振る舞いから。人を疑う前に自分を疑う、決して人前でバックや服のポケットの中をまさぐる事は止める(なるべく)。そして例え、失った物が見つからなかった時も一旦は冷静を装う。無意識と早合点からの脱却。まず、たたずまいからの見直す。アンチエイジへのあくなき抵抗として。鼻息 ヤッタv


 2016年5月 埼玉県鳩山 岩殿観音
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