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黒い光線

2021年1月13日 柳瀬川の朝霧

 

その日の早朝、寒さで目が覚めた。もしやと思って窓のカーテンを開けてみると、果せるかな、家の前を流れる柳瀬川に川霧が立っていた。それもかなり濃い...冬にはしばしば見られる光景であるが、これほどまでの濃い霧はめったにない。慌てて着替えてカメラを持って飛び出した。まだ日の出前。

 

気温は−4度、無風、前日との気温差から霧が立つ条件は十分だが、これまで見た中でも最大の濃さだ。霧は川の流れに沿って密度濃く湯気の如く立ち上る。朝日が昇り始めた。写真を撮りながら土手を歩く。太陽が完全に輪郭を見始める。光が射してきた。立ち込める霧の真ん中に光線を射す。川面の光線は逆光。光線の輪郭は見えない。構わない何枚もシャッターを切る。露出を替えて何枚も。何かが写っているはずだ。

 

家に帰って、パソコンでその出来栄えを見ると、その逆光の写真に驚いた。シャッターを押した時は気が付かなかったが、光線が黒い影の筋となって放射線状に川面に映し出されている。土手の桜並木の影ならば、まっすぐ等しい間隔に映るはずだ。「この黒い光線はなんだ?」何やら太陽に髭が生えたような、コロナ時代の不気味な世の中を象徴でもする様な、何かを暗示する様な奇妙な景色だ。決して美しい写真ではないが、不思議な出来栄えに、少なからず興奮を覚える。

 

 

 2021年1月13日 「黒い光線」 柳瀬川富士見橋 左岸

 

 

その日の午後、TBSテレビのワイドショー「ゴゴスマ」の中の天気予報を見ていたら、その中に今朝の寒さを象徴する視聴者からの珍しい写真が何点か紹介されていた。そして番組内で、このような珍しい自然現象の動画、写真を募集していたのを知った。これだ!心が動いた。

 

次の日、その次の日、また次の日、念のために3日間「ゴゴスマ」を録画して、もしや私の投稿写真が上映されることに備えた。しかし、TBSからは何の音沙汰も無かった・・・。空しく三球三振!

 

翌日から気温が上がり、この現象にニュース性が薄くなったせいもあるかもしれないが、ま、正直言うと、美しくもない、分かりにくい写真が、採用されるとは全く思わなかった。が、こうして代わり映えしない日常から非日常を目指して退屈凌ぎをするのもコロナ禍での生き方の一つかもしれない。そう思い行動した。加えて、例年2月に開催していたグループ写真展が新型コロナの影響で中止になった。何か目標を求めて、平凡な日常からの安全な脱出を探る。変化球の一投。球種はチェンジアップ。

 

 

  同日 柳瀬川

 

さて、黒い光線の原因だが、あの霧の向こうは土手沿いの桜並木。その時の川霧は白いスクリーンになるほど濃い。つまり、桜並木の影が霧のスクリーンに映り、それが白い霧のスクリーン内で光を曲折させて川面に投影しているようだ。

 

 

2021年1月10日 いつもの散歩道 富士見橋から 柳瀬川の夕陽 

 

 

2021年1月10日 いつもの散歩道 柳瀬川のムンクの夕陽?

  

 

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某月某日の小さな出来事

   ノウゼンカズラ 沼津

                                                                                                                                                                               
令和2年 7月21日 月曜日 午前10時20分 曇り

テレビを何気なく見ていたら誕生月の本日の運勢を放送していた。9月生まれの私の今日の運勢は「がっかり」で「他人の意見にも耳を貸しましょう」とのアドバイス。こんな占いコーナーなんて、何の意味が。果たして信じる人なんているのだろうか。

 

同日 午後12時30分 小雨
市役所に健康保険の条件変更の件で出向いた。つい先月、同じ様な変更手続きは完了している。係の人に「先月も同じことをやっているのだけど何かの間違いでは」と尋ねる。「いや、先月の手続きとは違う内容なので又新たに申請が必要です」「だって、先月の案内文と今回と案内文の内容は一字一句同じだし、すでに手続き完了の新しい保険証もある」「いやタイミングの問題で再度申請が必要だ」「なんで同じことを2度もさせるのだ、個人データ管理が出来ていないではないか。何の為のマイナンバー制度なんだ」押し問答が続いたが、権力者が正当性を主張している以上、これ以上の争いは得にならない。しかたなく、再び同じ手続きをして、新しい健康保険証を貰った。

 

 

同日 午後2時 雨

市役所で思わず時間を取り、まだ昼飯を食べていない。市役所の近くにある商店街の中の蕎麦屋に入って、かき揚げ蕎麦を食べた。蕎麦はまあまあだったが、かき揚げがやたらに甘く,蕎麦の旨味を消している。少なくとも自分の舌にはなじめない。初めて入った蕎麦屋だが、もう2度とこの蕎麦屋に来る事はないだろう。そう思っていた。しかしその後、思わぬ出来事が起こった。

 

 

 

同日 午後2時30分 雨

蕎麦屋を出て、雨の中を傘をさして、歩いて家に向かった。とぼとぼと20分。さっきの蕎麦屋での思わぬ出来事の原因を考えていた。鞄を替えていたからな。それにしても、今日はついていない。なんて日だ! あ、そうか!ふと今朝のテレビでの誕生月占いの事を思い出す「がっかりの日だったな」占いも当たることがあるもんだ。

 

同日 午後3時 雨

家に戻り、再び傘をさして、さっきの蕎麦屋に向かった。あの、甘いかきあげの味にクレームをつける為ではない。蕎麦屋で会計の時、思いもよらない事が起こった。なんと、財布がない事が判明したのだ。「ごめん、家は近くだから財布を持ってすぐに戻る」「PASMOかクレジットカードはないのですか」「それも全部財布の中。そうだ。この健康保険証を置いていく、たった今出来上がった新品だ」。曰く付きの保険証が役に立つ。皮肉なもんだ。それにしても、二度と来ることは無いと思った件の蕎麦屋に、その数10分後にまた来ようとは・・。

 

令和2年 7月30日 木曜日 晴れ 午前11時

久々の太陽だ。外に出て洗車をする。ついでにガソリンも入れておこうか。近くのガソリンスタンドに向かう。給油後、ここでも思わぬことが起こった。車を運転しながら、ガソリンスタンドで起こった思わぬ出来事の原因を考える。そうだ、もともとガソリンを入れるつもりはなかったのだ。

 

同日 午前11時15分 晴れ

再びさっきのガソリンスタンドに向かった。まさか、今度も財布を忘れたわけではない・・。ところが、その、まさかなのである。私は財布を持っていなかった。しかたなく車検証をかたに財布をとりに戻ったのだ。

 

 

 

令和2年6月16日 火曜日 曇り

話は6月に遡る。その日の運転免許更新高齢者認知症テストでは正真正銘100点満点の成績だった。多分、その時の受験者ではただ一人の100点だった。「あと30年は大丈夫」試験官が試験結果を渡すときに、こっそりそう呟いてくれた。認知症ではないはずだ。

 

 

令和2年8月1日 土曜日 晴れ

二度も財布を忘れた原因を考えた。思い当たることが一つある。コロナのせいでお金を使う機会がめっきり減った。財布の必要性が無い日常が続いたのだ。つまり金を払うという認識が遠ざかっていた。そういう事にしておこう・・・。

この日、関東地方もやっと梅雨が明けた。

 

 

今日の一句

 

手の中で 動画の花火 ステイホーム

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繕って生きる

 20⒛年6月 小田原城 

 

半年に一度ほど目の検査の為に近くの眼科を受診している。そこは地元では名医の誉れ高いのだが、一つだけ気になることがる。それは、視力検査の場所の事だ。検査が終わった人やそれを待つ人がすぐ近くに座っている。つまり、検査を行っている人の視力が座っている人にもわかるのだ。視力も一種の個人情報、病院もすこしはその辺の配慮すべきだと思うのだが、それはそれで、人生観も垣間見える時もある。

  2020年6月 柳瀬川
検査方法はおなじみの、ボードに映された視力表の平仮名や円の中の途切れた方向を答える方法なのだ。その日も、私の検査が終わって、傍らの椅子に座って次の診察を待っている時、80歳くらいの老人が私の目の前で視力検査をしていた。老人は部屋中に聞こえる大きな声で順調に答えていいたが、表の下の方で詰まってしまった。その時、老人は、これまた大きな声で「う〜ん、オレの勘だけど・・下かな?」と答えた。傍で聞いていた私はその声の大きさと、真剣な表情で「オレの勘だけど::」と答えた正直な反応に思わず笑った。実は、私もつい少し前の検査では声には出さなかったものの「俺の勘だけど・・」と心の中でつぶやきながら指されたマークを答えていた。それによって下された視力は実態よりも少し良くなっていたに違いない。私は、声に出したかの老人の正直さを思い、どこかうわべを繕って、心でつぶやく私は、あの正直な反応を見せた老人に、人間性で負けた、と思った・・・。

話は変わるが、先週、運転免許更新の為の高齢者認知症テストが有った。このテスト問題は警察庁のHPにも掲載されており、ちっと真面目にその問題を学習してさえいれば、高得点でパスすることはそれほど難しくはない。ともかくの76点以下だと、その次の課題の講習の受講料金と講習時間が異なる。なので、どうせコロナで暇な時間をこの問題を学習する時間に割いた。結果はタップリ有ったコロナ時間が功を奏して100点満点であった。しかし、あらかじめ分かっている課題をクリアしたところで、それが認知症の進行度合いを示すものとは違うのではないか。事実、最近は固有名詞がなかなか思い出せない、思い出すために、何度「あ」から始まる50音の往復を強いられることか。物忘れも多く、いわゆる「認知症度」は確実に進行している。もし、認知症テストが事前に問題が分からなかった場合、果たして50点でさえ取れていたかどうかも疑わしい。つまり、この認知症テストも事前に問題を知っていたが故の結果で、純粋な「実力」ではない、これもいわば実態を繕ったうわべだけのものだろう。

 

 

自分自身を繕って自己防衛する。巷間、多くの政治家や高級官僚が得意とする手段だ。言い訳を繰り返し自分自身を繕ろう。はた目には見苦しく思うこれらの行動ではあるが、それを翻って自分自身に問うた場合、やはり同じように、どこかうわべを繕う私に、自己弁護を繰り返す政治家を、さらには、かっては何某かの金品を勝負の代償として取り合った経験が有る自分に、賭けマージャンをして逃げる検察幹部を「けしからん」「糾弾せよ」と批判する資格が果たして有るだろうか・・? 

 

こうやって、コロナ禍は思考時間が増え、様々な思いを交錯させる。しかし、考えた末の結論は、あまり自己否定をしてみても、それはそれで何かを繕っており、純粋な気持ちではない。ここは一つ、元気をだして、開き直って自己を繕った事などは忘れて、正直な心根を出す。それこそ本当の繕わない正直な気持かもしれない。人間は所詮、考える葦、思考によって宇宙を包み込もう・・・。

では、元気にシュプレヒコール!

「賭けマージャン検察官僚を裁け!」

「多額買収政治家は議員辞職しろ!」

 

 

今日の俳句

紫陽花の 影を踏み行く 黒マスク  

−老真−

 

 

 

 

 

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いにしえの故郷

  福岡県糸島市 二見が浦

 

私の故郷は福岡県の西、糸島郡前原町。今でいう糸島市である。故郷と言っても13歳からの9年間過ごしただけであり、地元の人々がそれを故郷として受け入れてくれるかはわからないが、多感な時期を幾多の辛酸をなめながら過ごしたこの地にはやはり特別の思い入れがある。そして、この糸島市、かっては伊都国(いとこく)として古代史に登場するロマンあふれた場所でもあるのだ。最近、テレビでこの「いとこく」を巡る番組が有り、ふと、故郷の風景を思い出しながら、いとこくに思いを馳せた。

 

 

   二見が浦

 

― ペコバ名言集その1 ―

時(トキ)を戻そう、大きく戻そう!

 

今から1800年ほど前、日本史的にはまだ弥生時代後半、あの邪馬台国がこの(伊都国)に有ったという説がある。そうであれば女王卑弥呼もこの伊都の地にあった。耶馬台国の場所を巡っては諸説紛々であるが幸いな事にはどれも決定打はない。誰かが言っていた「古代史を作るのは簡単だ。検証ができないのだからどうにでもなる」。であれば、この糸島に思い入れる者として、邪馬台国=伊都国 説を信じるのが故郷愛と言うものだろう。

 

しかしながら、以前からこの邪馬台国や卑弥呼論にどうしても合点がいかない事がある。それは「やまたいこく」を漢字で表す呼称についてである。

邪馬台国。この「邪」がどうしても「邪魔」なのだ。「邪」の意味は「よこしま」つまり「道理にかなってなく、正しくないこと」の意味である。当時はまだ漢字も行渡ってなかったこの地域の呼称を、そのように名付けたであろう魏の国の者は一体、どんな意図をもっていたのであろう。まだ識字感覚の薄い事に乗じて、面白半分に「邪」を冠して蔑視していたと思えて仕方ない。

 

   糸島平野 

 

この屈辱感は邪馬台国ばかりではない、その女王とされる卑弥呼。卑弥呼の「卑」は「いやしい」のである。これも自らをいやらしいと冠する訳はなく単なる「ひみこ」の音を以って魏の国の者がそう冠したのであろう。まだある、邪馬台国と争ったとされる狗奴国(くなこく)にしても、狗は犬の事だし、そもそもに日本を現わしていた倭国にしても蔑視的な表現である。

 

邪馬台国や卑弥呼については、様々な研究者が様々な研究をして、憶測や推測を重ねるうちに、整合性を究明できない事を秘密のベールに包みこんで、いつしかこれらの事がロマンに満ちた影絵の如く朧気に私の感覚の中に潜んでいる。しかし、これまで、この漢字との不整合、屈辱的な命名をした魏の国の意図についての議論はお目にかかった事はない。そこが私の故郷愛の中で今一つ真のロマンに浸れないもどかしさでもあるのだ。

 

  糸島市 白糸の滝

 

そう思うのは、もしかしたら中国語の学習を通して漢字への執着が増したことに因るのかもしれない。しかし、私の偏見かもしれないが「邪馬台国」「卑弥呼」の呼称ははどう見ても魏の国の悪意を感じる字面に見えて仕方ない。誰かにその謎をあかしてほしい。

 

そうだ!それまでは、とりあえず彼らに登場を願う事にしよう。

 

ーぺこば名言集その2―

 

卑弥呼、漢字でみれば悪い感じ「ひみこ」耳で聞けばそれも悪いわけではない!

 

 

   糸島 芥屋海岸

 

*注意!我が細道には時折、お笑いの方々の名言にあずかることがあります。

 

 

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ミルクボーイ的マスクについての考察

 

 

今日、おかんの所にな、見ず知らずの人からマクス送られてきたんやけどな、おかんはそれが何かわからんちゅうんや。

マスク? そりゃ、アベノマスクとちゃうか、全国民に送られとるがな、そりゃアベノマスクやがな。

もそう思うてんやけどな、おかんは絶対違うちゅうんや。

何が違うんや、今、このマスク不足の時代に黙って送ってくるのはアベノマスク以外あるわけないやろ。

それがな、おかんが言うにはな、マスク欲しいって手を上げた覚えはないから、絶対送られてくるはずないって言うんや。

手を上げるって、そりゃマスクやのうて助成金10万円の方やろ。大臣の麻生さんが10万欲しけりゃ手を上げろ、ってなんか、この指とーまれみたいに、殿様気分で言わはったのは、助成金の方やで。

俺もそれは勘違いやろっておかんに言うてんねんけどな、おかんが言うにわな、アベノマスクやったら麻生はんもアベノマスクしてはるやろ、税金を管理してる人やからな、税金は無駄にするはずないから、麻生さんは絶対アベノマスクしはるやろ。けどな、テレビで見た麻生はんのと送って来たもんと違うからあれはアベノマスクやないって言うんや。

おかんは安倍はんがアベノマスクしとるん見たことあるんやろ?。なんか言うてなかったか?

おかん言うにはな、安倍はんと麻生はんと、どっちが本物かわからん言うんや。

おかんボケとんとちゃうか?

おとんが言うにはな。

おとんがいたんかいな。

おとんが言うにはそれは「アベノミックス」とちゃうかー・・・? やて。

 

 

アベノミックス? おー・・・なんか近づいてきたやんか。けど、ちょっとちゃうなあ。他にはなんか言うてなかったか?

おかんが言うのはな、千代丸はんがアベノマスクに似ているマスクを眼帯にしてはって、ちょうど良いって言ってはったらしい、て言うとった。

千代丸はん、ってあの相撲取りのか? 確かにアベノマスクは小さいらしいやん。あの顔が大きい千代丸はんが眼帯には丁度いいって言わはるのは、アベノマスクかもしれんなあ〜、おもしろそうやな、ちょっといっぺん見てみたいけどな。

おかんが言うにはな、千代丸はんの方は確信がないけど、安倍昭惠はんやったら絶対アベノマスクしてはるやろうてな、ってずっと気を付けて見といたんらしいんや。

あー昭恵はんやったら間違いな。ほんでどうなった?

それがな、おかんが言うにはな、昭惠はんは大分にホームステイに行ったからわからんかったらしいんや。

ホームステイ?ホームステイはあかんやろ?あれ密やで。ステイホームとちゃうんか? 

俺もステイホームと違うかー?、て言うたんやがな、おかんが言うにはな、昭惠はんは今年は新宿の桜が見られん、つまらん、言うてな、大分まで行って桜を見る会に参加しホームステイしてたらしんや。

きょうび、ホームステイはないやろ。今はステイホームって、えらいやかましゅう言われとるがな。ホームステイはあかんあかん。おかんは他には何か言うてなかったか?
おかんが言うにはな、自民党の石破はんが貰ったマスクと同じマスクしてはったのを見たらしいけど、あれが本物のアベノマスクやないか〜? って言うてた。
オー、だんだんアベノマスクに近づいてきたうやないか。そやけど待ちーな、石破はんが?あの次期首相候補の?石破さん言うたら、ちょいちょい安倍はんに皮肉を言うてはったやんか。その石破はんが、アベノマスクするか?顔も大きい方じゃし。

おとんが言うにはな。

おとん・・・まだいたんかいな?

おとんが言うにはな、それは、「アベノマサカ」ちゃうか? やて。

 

 

(ってまあ、今回はコント風に・・・)

 

*上の話はすべてオールドミルクボーイによる架空の物語です。

 

 

上の写真は全て妙義山の桜公園において撮影

 

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目を閉じれば日常の中

 

 

いつもの散歩道を歩く

いつもの時間に

いつもの川の流れ

いつものように土手の砂利道をあるく

スズメがさえずる、ツバメが飛びかう

いつもの年の様に雉が鳴き始める

いつもの年の様にハナミズキの花が咲く

 

 

いつものように病院の角を曲がる

いつものようにスズメたちが寝床に帰る

教会の尖塔をかすめて陽が落ちる

 

 

「昨日ね、トマトに追いかけられる夢を見たの」

すれ違った小さな女の子が傍らの父親に告げる

「トマトに・・・」

傍らの父親が仔犬のリードを手繰りながら問い返す

遠ざかる親子の次の言葉は聞こえない

 

 

夢の話か・・

 

そういえば、昨夜いつものように夢を見た

よその国で道に迷う夢

いつものように抜け出せない

ハンドルを握っていたはずなのに

気が付けば歩いて崖の淵

いつもよく見る夢

夢の中で出会ったデジャビュ

 

 

いつものように東上線のガードをくぐる

頭上を電車が轟音を立てて通り過ぎる

 

 

突然! 世の中が不安定になった

全てのものが疲れ果てた

人間、ビル群の影、ネオンの盛り場、学び舎さえも

歩く事を止めたらどうなるのか

目的地にはいつか着くのか

 

 

星どもが煌めきだした

沈む太陽に向かって抗議する

お前は永遠、照り輝いて汚名を晴らせ

光冠(コロナ)はもともとお前の分身だ

太陽が微笑む

 

 

こうして、いつもの日常といつもの幻想と

いつもの様に一日が終わる

目を閉じてさえおけばいつもの日常の終わり

眼を開ければ不気味な非日常の気配が漂う。

 

 ってまあ、今回は叙情詩的?:::

 

 

 

以下はカミュの「ペスト」から抜粋

 

誰でもペストの気持ちを持っている

内なるペストを誰も見ようとしない

ペストは決して死ぬことも消滅することもない

そしていつの日か人間に不幸の教えをもたらす為に

ペストはネズミ達を目覚めさせ、どこかで幸福な街に

送りこむのである。

 

 

 

*写真は全て柳瀬川河畔から

 

 

 

 

 

 

 

 

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自打球

 

           柳瀬川の夕景

 

それは、我が家の近くの狭い路地での事だった。1台のパトカーが私を追い越して止まった。ついさっき反対方向にすれ違ったパトカーだ。Uターンして止まったパトカーから一人の警官が降りてきて私に向かう。他に人は誰もいない。確かに私に向かってきている・・。

 

これより数日前、テレビで「警察24時」という番組を見ていた。その「警察24時間」の中で度々登場するのが1人のカリスマ的超直感力の持ち主の警官だ。彼らはパトロール中に挙動不審の人物の動きを瞬時に見抜き職務質問の末に、飲酒、薬物等の容疑者を検挙する展開だ

 

警官が私に向かってきた時に、瞬時にあのカリスマ警官の事が頭をよぎって「興奮」するのを覚えた。自分は今、何の犯罪も起こしていない。振り返って、これまでの悪事といえば、中山道歩きの時に、道端の頭の近くまで垂れ下がっていた柿を一つちぎって甘柿かどうかを確かめるために食べて事しか思い当たらない。それとても「猿に食われる」と嘆いていた農家のおばーちゃんの言葉を聞いた後で「猿よりはいいか」との思いも有ったからである。もう一つ言えば、それはもう15年以上前の事で、たとえ私が「柿泥棒」で指名手配されていたとしても、もう時効のはずだ・・。それほど潔白で何もやましい事はない以上、いかにカリスマ敏腕警官であっても、私を検挙することはない。そして私は逆に「警察24時」を見過ぎてカリスマ警官を気取るこの警官の自意識過剰を暗に諭してやる。つまりその「興奮」は私に有利な展開からくる想定問答上の余裕の中に有った。

 

 

そして、私に向かってきたその「自意識過剰警官」は私に向かってこう言った。

 

「今、人を探している、あなたの名前が分かるものは何か有りませんか?」

 

 

「人探し? 私は地元の人間だけど名前は何という人?」

 

 

「〇〇さん」

 

 

「私は〇〇じゃないよ」そう言って財布の中から個人ナンバーカードを出して見せた。

 

 

「すみません、似ていたものですから」

 

 

「その人は何歳くらい?」

 

 

「80歳くらい」

 

 

「え〜80歳?私はそんな年寄りではないよ。その人は迷い人?」

 

 

「はい、捜査願いが出てまして」

 

 

 

こうして、自意識過剰警官への想定問答はもろくも崩れ去った。

「80歳・徘徊老人・・」何とも失望を禁じ得ない現実。「警察24時」の影響を受け、空振りに終わったのは私の方か・・・。自打球が当たった。もっと背筋を伸ばして歩かないと。

 

 

   今日は俳句を一句

 

     たそがれの 花見る人の 黒マスク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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杞の国の人への思い

 

   2020年2月27日 長野善光寺

 

今からおよそ2700年前、中国に杞(き)という国があった。その頃、大地は正方形で、その四隅は天柱と呼ばれる大きな柱で支えられていると考えられていた。その杞の国に一人の男がいて、空を見ては「いつか空が落ち、地が崩れ、身の置き場が無くなるのではないか」と夜も眠られず食事もとれなくなるほど思い詰めていた。有名な取り越し苦労の例えである故事「杞人憂天・杞憂」の話である。

 

今、世の中を席捲している新型コロナウイルス。まだ人類はその透明の正体をよく知らない。1人から始まった新ウイルスの攻撃は日を重ねるごとに累々と伝染し、山河を越え、海を渡りそして大地を覆った。そしてその感染者は100万人を超える勢いである。

地震や嵐であれば災いはいつかはどこかで止まる。少しの間、身を伏せて耐えていれば、やがては過ぎていく。しかし、見えないウイルスは四方に飛び火を繰り返しながらとどまる事を知らず人々を襲う。ほんのわずかな隙間から忍びこむ見えない敵。見えざる敵との闘いほど不気味なものは無い。今日もまた新たに世界中で数万人の感染者が発生した。それも日々加速して増える。

 

   善光寺 イルミネーション

 

人間の英知はいずれはきっとこのウイルスに打ち勝つ。嵐や地震と同じように少しの間、身を伏せていればいいのかもしれない。しかし、敵は見えない透明の得体のしれない小さな細菌。神出鬼没、いつわが身に降りかかるかわからなのだ。つまり、人間の英知との時間との闘い。その前に誰かがロシアンルーレットの犠牲となり続ける。とにかく未経験な事には臆病になる。もしかしたら、あの杞の国の人も、未経験な得体のしれない災害に遭遇し、空が落ち、地が崩れると心配したかも知れないのである。相手が透明だけに、その不気味さに杞憂が杞憂で無くなるような、空が本当に落ち、地が崩れるのではないかとの不安もあり、ここに杞の国の人の気持ちを分かつ。

 

   善光寺

 

そんな中、わが身を犠牲として働く医療従事者、食べるために働く労働者、秩序を保つために奉仕する役人、そして何もできない我が「後期高齢者」。そうだ、いまこそあの人たちに!

 

 立ち上がれ、世の全ての祈祷師たち 

 あぶり出せ奴の姿を、赤いロウソクの炎の先に

 映し出せ、大きな丸い鏡の中に

 告げよ、満月の夜に起きる時の事を

 告げよ、星がグランドクロスの位置に来る時の事を

 立ち上げれ、世の全ての祈祷師たち 

 神に祈れ、神に祈れ、神に祈れ 全霊を込めて

 鎮めよ、悪魔の悪戯を

 炙り出せ、悪魔の正体を

 そして救え、弱い者たちを

     

 

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人生時計

   戸隠神社 奥社 2020年2月

 

私は今年の後半にはついに「後期高齢者」という何とも不快なカテゴリー入りする。

それにしても誰が75歳以上をもって「後期高齢」なんて領域を作ったのだ。それはいかにもあからさまで、他人の人生の長さを勝手に決め、十派一括りで、思いやりに欠け、ひいては基本的人権を侵す憲法違反ではないか…。前期か後期かはその人の人生の長さで決まる、つまり人それぞれで異なるはずだ。150歳まで生きる私の場合、まだ前期だ(笑)。

ってまあ、愚痴ってはみたが、アクセルとブレーキにの踏み違い、道路の逆走、コロナの免疫不足、などなど要注意年齢に達したことは客観的に認める他はないのだが……。

 

  戸隠神社奥社 参道

 

さて、そんな中、地球上に新型コロナと言う得体のしれない厄介者がが突如として降ってわいてきた。高齢者のみならず、若者までが外での行動の自粛を求められる世の中となろうとは。大きなな隕石でも落ちてくるように不気味で、その不気味さが世界を止める。こんな時は、元気であろうとなかろうと特に「後期高齢者」は余計に家の中に引っ込んで、静かにしておかなければならないのであろう。が、待てよ、若者はたとえ今年の束縛が有っても、未来のチャンスは長く残っている。(私は150歳まで生きるかもしれないが)健康年齢はカウントダウンの段階だ。その意味で1年1年の時間の費やし方を考える。コロナの為に貴重な時期を逃すのは人生の損だ。

 

  戸隠神社奥社 参道

 

2月最後の週、車を運転して雪国に向かった。雪国に向かうには理由が有る。昨年の経験から車のタイヤを冬用のスタットレスに変えた。スタットレスは初めての事だ。しかし、今年は暖冬。一度もそのタイヤの効果を試すことが出来ないまま冬が終わろうとしてる。どうしても一度雪の上を走りたい。

 

 

例によって気の向くまま。雪を求めて信州に向かった。それでも暖冬は信州も例外ではなく、戸隠に向かう山中でやっと雪道と出会い目的どおりスタッドレスの効果を確かめる事ができた。ナビの見間違いは時々あったが運転への何らの不安もなかった。翌日の白馬への狭い山道を通っての山越えもの快適だった。こうして、コロナからのひと時の脱出、新タイヤの試しを通して、座して待たず後期高齢期の貴重な時間をる小さな冒険んで体験できた。

 

時々やってみるか。

 

 最後に川柳を一句

 

  唐土(もろこし)の 

  透明爆弾 海渡る

  桜を愛でる頃な(コロナ)のに    老真

 

 戸隠神社奥社 参道

        

 

   

 

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再開のプロローグ

  いつもの散歩道 柳瀬川河畔

 

つい2か月前まで世の中がこんなに混乱する事態になるとは誰が予想したであろうか。その頃、中国で新型ウイルスの感染者が出たというニュースはちらほらあったが、対岸の火事程度の認識の中に有った。日本の防疫体制ならその程度のウイルスは簡単には入り込むことはないのだろう、と何となく楽観していた。それよりも、その頃はあのカルロス・ゴーンさんのドラマチックな脱・日本の逃亡劇に沸いていた。同時に日本の国境管理の甘さを悲観しつつも、ウイルスであっても入国の方は堅固であるに違いないと高をくくっていた。

 

中国の場末の市場の片隅に生息していたたった一匹のこうもりから始まった伝播劇。カルロス・ゴーンおじさんの脱・日本劇。彼は楽器箱に姿を隠したが、新型コロナは人体の中に潜んでセキュリティをすり抜けてしまった。せめてコロナも楽器箱の中であったなら今度こそはチェックの網にかかったかもしれないのに・・。


 いつもの散歩道 柳瀬川 鈴なりのスズメ

 

それにしても日本における新型コロナウイルスの死者は30人にも満たないのに「見えざる敵」は経済、文化、スポーツとあらゆる方面に攻撃をかけ、かく乱した。ここまで発達した人間の英知の結集であるAIさえも見えざる敵の攻撃になす術がない。人間の脆さなのであろう。

さらに今、アフリカ北東部で発生した400億匹ものバッタの大群が農作物に壊滅的な打撃を与えているようだ。コウモリとバッタ、この小さな小動物たちが発達した人間の英知を蝕む。これはあるいは発達しすぎた人類の知恵、貧富の差、利己主義、保護主義に警告を与える見えざる神の手、つまりは自然の摂理かも知れない。

 

    柳瀬川河畔

 

さて、偉そうなコメントはさておき、無職の身にある私にとって健康を保つことが一番大きなタスクなのだが、諸々の自粛ムードの中で健康を保つための方策である活動が大きく制限されて、家の中で過ごす時間が増えた。このままでは老化が加速するのではないかとの恐れもある。そこで、アンチエイジングの方策の一つとして、かつて歩いていた「どこかの細道」つまり、このブログを再生しようと思う。

 

これからは出来るだけコンパクトに写真を掲載しながら、たわごとを綴っていきたい。今回はとりあえず再開のプロローグと言う事で。次回は来週頃。

 


   柳瀬川河畔

 

 

 

 

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