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ブーメランの行方

   2016年4月3日 柳瀬川

家の前を流れる柳瀬川の土手に立って深呼吸をした。甘い空気の香りがする。地面に散った桜の花びらがの香りなのか。薫風という言葉を思い出す。今年も季節が慌ただしく去って行く。冬と春の二つの季節の中で、いくつかの出来事が、世間を揺るがす大きな出来事が、いつもとはちょっとは違う関心と回想を誘う。

1990年から6年間ほどベルギーのブリュッセルに住んでいた。そのブリュッセルの町中に、我が家から車で10分ほどの所にヴォルウエという広くてきれいな公園があった。赴任早々、まだ友達がいなかった小学6年生の息子を連れて、週末ごとにこの公園でキャッチボールやトスバッティングで遊んでいた。毎回二人でやっていたのだが、いつの日か気が付くと、ずっと我々の野球遊びの様子を見ている一人の少年がいた。その少年は翌週も、その次の週も、我々の野球を傍らでじっと見ていた。ある日、私が「やってみる?」と言ってバットを差し出すと、少年は待ってましたとばかりに嬉しそうにバットを握った。野球には全く馴染みのないベルギーで、彼にとってはおそらく人生で初めての事だっただのだろう。野球慣れしていない彼のスウィングは、なかなかうまくボールに当たらなかったが、あの好奇に満ちた目の輝きは今でも脳裏に浮かぶ。その後、雨の日を除き、週末ごとにあのヴォルウエ公園に行くたびに、件の少年が駆け寄って来ては、私はいつものように彼にバットを渡し、グローブをはめさせて、いつしか3人での野球となった(言葉は全く通じなかったけれど)。その後、息子には日本人の友達ができ、私との週末のあのヴォルウエ公園行きはなくなり、私も少年とは会わなくなった。アラブ系の浅黒い顔で目の輝きが印象に残る少年だった。少年はその後もきっと何度かの週末は、我々の来ないあの公園で、今度こそはいい当たりを、と待っていたのではないかと思うと、少し心が痛む。



       柳瀬川

それから6年後、私の仕事場はブリュッセルからパリに移った。家族は日本に帰国し、いわゆる単身赴任の始まりでもあった。そして、忘れもしない1997年12月31日、正月休みを過ごすために1人でスペインのマドリッドに行った。翌日の新年一日、クリスチャンでもないのに物見遊山から、マドリッドの小さな教会での新年のミサに行ってみた。カソリックの教会の中のミサはやはり厳かであった。ミサが終わって出がけに教会の出口に座っていたホームレスらしき男の前の皿に、なにがしかの施しをして、何やら初詣を済ませたような気分で外に出た。そしてそれは、教会の裏手の狭い路地を歩いてる時だった。誰かに背後から不意に、しかしフンワリとした優しい手で両目を覆われた。それはまさに友達がふざけて「だーれだ?」をするような手つきであった。「ん?こんな所で誰かな?」って振り返ろうとした瞬間、二人組の男に羽交い締めにされて、一人からナイフを突きつけられた。一瞬怯んだ隙に二人組は私のショルダーバックをひったくって逃げた。私は、声も立てず必死で二人組の後を追った。しかし、心のどこかでは二人に追いつきたくない、というへっぴり腰の追跡だから追いつくはずはない。二人が路地裏のコーナーから消えたとき、「命は助かった」となんとも言えない不思議な安堵を覚えたものだった。あの目隠しの優しい仕草は、油断させるための手段だったのかどうかはわからないが、あとから、あの柔らかい手の感触が逆に恐怖を増した。そしてその二人組の暴漢も顔が浅黒いアラブ系の男達だった。


   2016年4月4日 新河岸川

時は下って2016年3月。つまり今年3月。ベルギーのブリュッセルで痛ましいテロが起こった。ベルギーは英・独・仏の大国の狭間にありながらも、忍耐強く物静かに伝統を守り続ける、緑豊かな落ち着いたとてもいい国だ。そこでテロが起こるなど思いもよらいない事だ。そしてそのテロで不運にも邦人も2人傷ついた。そのうちの一人は、何とブリュッセルのP旅行社で働くHさんだった。私は、パリに移っても旅行のチケットは懇意にしていたブリュッセルのこのP旅行社で調達していた。マドリッドで暴漢に襲われた時の航空チケット、ホテル予約もブリュッセルテロ事件で負傷した邦人が働くこのP旅行社で調達した。因みにこの旅行社の社長は、私が帰国後に勤めた会社の依頼で顧客向けの月刊誌にブリュッセル事情を寄稿してくれた人であった。

勿論、あのブリュッセルの野球少年も、マドリッドの暴漢も、旅行社のHさんも、ブリュッセルやパリのテロも、偶然に出会い、偶然に起きた出来事で、私とは本来何の因果もない。ただ、アラブ系、テロ、かつての生活圏というキーワードで括ったとすれば、色々と絡み合うものがあり、本当は何かの因果かも、と考えたくもなる。

そして、さらに因果を進めると、今回の熊本大地震。来月の半ばに以前から計画していた、大分湯布院での親族の集まりが中止になった。湯布院への交通と震源地そのものも湯布院地方に広がっている為だ。しかし、それだけが因果ではない。実は、今回の地震帯の延長上の別府湾には420年前に大地震で一夜にして沈んだと言われる幻の島がある。その島の名は「瓜生島」。つまり、私のルーツに繋がる島である。



  2016年4月5日 柳瀬川

このブログ「どこかの細道」を始めて10年が経つ。最初は趣味の散歩の行き先々の事をしたためていた。そしてその中で、いつかは歩きつく終焉の場所を「瓜生島」にしたいと書いたことがる。今回の地震で図らずもその「瓜生島」にたどり着いた。



ひとつ書き忘れたことがある、あのブリュッセルで一緒に野球をした少年の事だ。彼はバットで打つときは左打ち、投げるときは右投げだった。つまり基本は右利きなのであろう。なぜ左でバットを振ったか思い当たる事がある。私の息子が左利きで、左打ちをしていた。初めて見た野球。少年は息子のバッティングスタイルを見て、バットはそうやって振るものだと信じていたのだ。そして、初めてはめたグローブは右利きの私のもの。それを一つの思想に置き換えると、純粋無垢な思想に飛び込んだ「初めての思想教義」のインパクトは、簡単には脱することができない大きさなかもしれない。ブリュッセルで出会ったあのアラブ系の少年も、今ではあのテロの首謀者の歳になっているはずだ。


2016年 4月3日 柳瀬川(いつもの散歩道)花見客


  2016年 4月7日 雨の柳瀬川(いつもの散歩道)

柳瀬川の土手の桜はもうすっかり新緑の装い。ひと組の集団がバーベキュウをしている傍らで、仲間の若者がブーメラン遊びをしていた。そして、一人が投げたブーメランが河原に戻る途中で川の中に落ちた・・・・・。




閑話休題
実はふと、この因果を期にこのブログも終わりにしようと思った。なんだかそれが一つの潮時としてはドラマチックな終わり方、と考えたからだ。その事をかってパリで一緒だったNZ在住のFさんにメールで伝えると、日本を偲ぶ読み物として、毎月更新を待ってくれているようだし、級友のS君の奥さんも、
福岡のトシユキ君もこの拙いブログを読んでくれているようだ。ならば、あの終焉の地と定めた場所に自分の足でたどり着くまでは続けるか・・・。






 
| 老真 | - | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
Comment
2016/05/04 12:15 AM posted by: 老真
マリアさん 私のブログのリンク先にマリアさんのブログ「呼吸と瞑想の日々」をリンクさせました。ご了承ください。 老真。
2016/05/03 11:59 PM posted by: 老真
マリアさんコメントありがとう。テロ後のブリュッセルの生活はまだまだ色々な不安もあることだと思います。私もマリアさんのブログでブリュッセルのテロのが生活に及している影響を知りましたが、テロなどには屈したりはしない強いマリアさんも知ってます。
でも、早くテロの恐怖を忘れる平穏な日々が来ることを祈ってます。
2016/05/02 11:22 AM posted by: まりあ
私も時々開けては読ませていただいていますよ。コメントをせず、ごめんなさい。

たしかに、老信様が長い間生活したブリュッセルとパリでテロ事件が起こり、さらに熊本で地震が起こり、確かに人生が一巡して出発点に戻ったような気持ちになられたかもしれません。

これから幻の瓜生島に行きつくまでの新しい旅を楽しみにしています。

まりあ
2016/04/20 11:39 PM posted by: 老真
徳永くん 久しぶりですね。ブログ読んでくれていたのですね、ありがとう。確かに間隔があくのは年のせいかもしれません。老化防止のためにもこれからも何とか続けていきます。また、読んでくださいね。 老真
2016/04/20 10:04 AM posted by: 徳永
私も更新を楽しみにしてますよ。近頃、更新の間隔が長かったので加齢の為文章作りがいやになってきたのかなーと思って心配してましたよ。
これからも楽しみにしてますよ。続けて下さいよ。
   
          徳永
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