2021年1月13日 柳瀬川の朝霧
その日の早朝、寒さで目が覚めた。もしやと思って窓のカーテンを開けてみると、果せるかな、家の前を流れる柳瀬川に川霧が立っていた。それもかなり濃い...冬にはしばしば見られる光景であるが、これほどまでの濃い霧はめったにない。慌てて着替えてカメラを持って飛び出した。まだ日の出前。
気温は−4度、無風、前日との気温差から霧が立つ条件は十分だが、これまで見た中でも最大の濃さだ。霧は川の流れに沿って密度濃く湯気の如く立ち上る。朝日が昇り始めた。写真を撮りながら土手を歩く。太陽が完全に輪郭を見始める。光が射してきた。立ち込める霧の真ん中に光線を射す。川面の光線は逆光。光線の輪郭は見えない。構わない何枚もシャッターを切る。露出を替えて何枚も。何かが写っているはずだ。
家に帰って、パソコンでその出来栄えを見ると、その逆光の写真に驚いた。シャッターを押した時は気が付かなかったが、光線が黒い影の筋となって放射線状に川面に映し出されている。土手の桜並木の影ならば、まっすぐ等しい間隔に映るはずだ。「この黒い光線はなんだ?」何やら太陽に髭が生えたような、コロナ時代の不気味な世の中を象徴でもする様な、何かを暗示する様な奇妙な景色だ。決して美しい写真ではないが、不思議な出来栄えに、少なからず興奮を覚える。
2021年1月13日 「黒い光線」 柳瀬川富士見橋 左岸
その日の午後、TBSテレビのワイドショー「ゴゴスマ」の中の天気予報を見ていたら、その中に今朝の寒さを象徴する視聴者からの珍しい写真が何点か紹介されていた。そして番組内で、このような珍しい自然現象の動画、写真を募集していたのを知った。これだ!心が動いた。
次の日、その次の日、また次の日、念のために3日間「ゴゴスマ」を録画して、もしや私の投稿写真が上映されることに備えた。しかし、TBSからは何の音沙汰も無かった・・・。空しく三球三振!
翌日から気温が上がり、この現象にニュース性が薄くなったせいもあるかもしれないが、ま、正直言うと、美しくもない、分かりにくい写真が、採用されるとは全く思わなかった。が、こうして代わり映えしない日常から非日常を目指して退屈凌ぎをするのもコロナ禍での生き方の一つかもしれない。そう思い行動した。加えて、例年2月に開催していたグループ写真展が新型コロナの影響で中止になった。何か目標を求めて、平凡な日常からの安全な脱出を探る。変化球の一投。球種はチェンジアップ。
同日 柳瀬川
さて、黒い光線の原因だが、あの霧の向こうは土手沿いの桜並木。その時の川霧は白いスクリーンになるほど濃い。つまり、桜並木の影が霧のスクリーンに映り、それが白い霧のスクリーン内で光を曲折させて川面に投影しているようだ。
2021年1月10日 いつもの散歩道 富士見橋から 柳瀬川の夕陽
2021年1月10日 いつもの散歩道 柳瀬川のムンクの夕陽?
]]>
ノウゼンカズラ 沼津
テレビを何気なく見ていたら誕生月の本日の運勢を放送していた。9月生まれの私の今日の運勢は「がっかり」で「他人の意見にも耳を貸しましょう」とのアドバイス。こんな占いコーナーなんて、何の意味が。果たして信じる人なんているのだろうか。
同日 午後2時 雨
市役所で思わず時間を取り、まだ昼飯を食べていない。市役所の近くにある商店街の中の蕎麦屋に入って、かき揚げ蕎麦を食べた。蕎麦はまあまあだったが、かき揚げがやたらに甘く,蕎麦の旨味を消している。少なくとも自分の舌にはなじめない。初めて入った蕎麦屋だが、もう2度とこの蕎麦屋に来る事はないだろう。そう思っていた。しかしその後、思わぬ出来事が起こった。
同日 午後2時30分 雨
同日 午後3時 雨
令和2年 7月30日 木曜日 晴れ 午前11時
同日 午前11時15分 晴れ
令和2年6月16日 火曜日 曇り
令和2年8月1日 土曜日 晴れ
二度も財布を忘れた原因を考えた。思い当たることが一つある。コロナのせいでお金を使う機会がめっきり減った。財布の必要性が無い日常が続いたのだ。つまり金を払うという認識が遠ざかっていた。そういう事にしておこう・・・。
この日、関東地方もやっと梅雨が明けた。
今日の一句
手の中で 動画の花火 ステイホーム
]]>20⒛年6月 小田原城
半年に一度ほど目の検査の為に近くの眼科を受診している。そこは地元では名医の誉れ高いのだが、一つだけ気になることがる。それは、視力検査の場所の事だ。検査が終わった人やそれを待つ人がすぐ近くに座っている。つまり、検査を行っている人の視力が座っている人にもわかるのだ。視力も一種の個人情報、病院もすこしはその辺の配慮すべきだと思うのだが、それはそれで、人生観も垣間見える時もある。
話は変わるが、先週、運転免許更新の為の高齢者認知症テストが有った。このテスト問題は警察庁のHPにも掲載されており、ちっと真面目にその問題を学習してさえいれば、高得点でパスすることはそれほど難しくはない。ともかくの76点以下だと、その次の課題の講習の受講料金と講習時間が異なる。なので、どうせコロナで暇な時間をこの問題を学習する時間に割いた。結果はタップリ有ったコロナ時間が功を奏して100点満点であった。しかし、あらかじめ分かっている課題をクリアしたところで、それが認知症の進行度合いを示すものとは違うのではないか。事実、最近は固有名詞がなかなか思い出せない、思い出すために、何度「あ」から始まる50音の往復を強いられることか。物忘れも多く、いわゆる「認知症度」は確実に進行している。もし、認知症テストが事前に問題が分からなかった場合、果たして50点でさえ取れていたかどうかも疑わしい。つまり、この認知症テストも事前に問題を知っていたが故の結果で、純粋な「実力」ではない、これもいわば実態を繕ったうわべだけのものだろう。
自分自身を繕って自己防衛する。巷間、多くの政治家や高級官僚が得意とする手段だ。言い訳を繰り返し自分自身を繕ろう。はた目には見苦しく思うこれらの行動ではあるが、それを翻って自分自身に問うた場合、やはり同じように、どこかうわべを繕う私に、自己弁護を繰り返す政治家を、さらには、かっては何某かの金品を勝負の代償として取り合った経験が有る自分に、賭けマージャンをして逃げる検察幹部を「けしからん」「糾弾せよ」と批判する資格が果たして有るだろうか・・?
こうやって、コロナ禍は思考時間が増え、様々な思いを交錯させる。しかし、考えた末の結論は、あまり自己否定をしてみても、それはそれで何かを繕っており、純粋な気持ちではない。ここは一つ、元気をだして、開き直って自己を繕った事などは忘れて、正直な心根を出す。それこそ本当の繕わない正直な気持かもしれない。人間は所詮、考える葦、思考によって宇宙を包み込もう・・・。
では、元気にシュプレヒコール!
「賭けマージャン検察官僚を裁け!」
「多額買収政治家は議員辞職しろ!」
今日の俳句
紫陽花の 影を踏み行く 黒マスク
−老真−
]]>
福岡県糸島市 二見が浦
私の故郷は福岡県の西、糸島郡前原町。今でいう糸島市である。故郷と言っても13歳からの9年間過ごしただけであり、地元の人々がそれを故郷として受け入れてくれるかはわからないが、多感な時期を幾多の辛酸をなめながら過ごしたこの地にはやはり特別の思い入れがある。そして、この糸島市、かっては伊都国(いとこく)として古代史に登場するロマンあふれた場所でもあるのだ。最近、テレビでこの「いとこく」を巡る番組が有り、ふと、故郷の風景を思い出しながら、いとこくに思いを馳せた。
二見が浦
― ペコバ名言集その1 ―
時(トキ)を戻そう、大きく戻そう!
今から1800年ほど前、日本史的にはまだ弥生時代後半、あの邪馬台国がこの(伊都国)に有ったという説がある。そうであれば女王卑弥呼もこの伊都の地にあった。耶馬台国の場所を巡っては諸説紛々であるが幸いな事にはどれも決定打はない。誰かが言っていた「古代史を作るのは簡単だ。検証ができないのだからどうにでもなる」。であれば、この糸島に思い入れる者として、邪馬台国=伊都国 説を信じるのが故郷愛と言うものだろう。
しかしながら、以前からこの邪馬台国や卑弥呼論にどうしても合点がいかない事がある。それは「やまたいこく」を漢字で表す呼称についてである。
邪馬台国。この「邪」がどうしても「邪魔」なのだ。「邪」の意味は「よこしま」つまり「道理にかなってなく、正しくないこと」の意味である。当時はまだ漢字も行渡ってなかったこの地域の呼称を、そのように名付けたであろう魏の国の者は一体、どんな意図をもっていたのであろう。まだ識字感覚の薄い事に乗じて、面白半分に「邪」を冠して蔑視していたと思えて仕方ない。
糸島平野
この屈辱感は邪馬台国ばかりではない、その女王とされる卑弥呼。卑弥呼の「卑」は「いやしい」のである。これも自らをいやらしいと冠する訳はなく単なる「ひみこ」の音を以って魏の国の者がそう冠したのであろう。まだある、邪馬台国と争ったとされる狗奴国(くなこく)にしても、狗は犬の事だし、そもそもに日本を現わしていた倭国にしても蔑視的な表現である。
邪馬台国や卑弥呼については、様々な研究者が様々な研究をして、憶測や推測を重ねるうちに、整合性を究明できない事を秘密のベールに包みこんで、いつしかこれらの事がロマンに満ちた影絵の如く朧気に私の感覚の中に潜んでいる。しかし、これまで、この漢字との不整合、屈辱的な命名をした魏の国の意図についての議論はお目にかかった事はない。そこが私の故郷愛の中で今一つ真のロマンに浸れないもどかしさでもあるのだ。
糸島市 白糸の滝
そう思うのは、もしかしたら中国語の学習を通して漢字への執着が増したことに因るのかもしれない。しかし、私の偏見かもしれないが「邪馬台国」「卑弥呼」の呼称ははどう見ても魏の国の悪意を感じる字面に見えて仕方ない。誰かにその謎をあかしてほしい。
そうだ!それまでは、とりあえず彼らに登場を願う事にしよう。
ーぺこば名言集その2―
卑弥呼、漢字でみれば悪い感じ「ひみこ」耳で聞けばそれも悪いわけではない!
糸島 芥屋海岸
*注意!我が細道には時折、お笑いの方々の名言にあずかることがあります。
]]>
今日、おかんの所にな、見ず知らずの人からマクス送られてきたんやけどな、おかんはそれが何かわからんちゅうんや。
マスク? そりゃ、アベノマスクとちゃうか、全国民に送られとるがな、そりゃアベノマスクやがな。
俺もそう思うてんやけどな、おかんは絶対違うちゅうんや。
何が違うんや、今、このマスク不足の時代に黙って送ってくるのはアベノマスク以外あるわけないやろ。
それがな、おかんが言うにはな、マスク欲しいって手を上げた覚えはないから、絶対送られてくるはずないって言うんや。
手を上げるって、そりゃマスクやのうて助成金10万円の方やろ。大臣の麻生さんが10万欲しけりゃ手を上げろ、ってなんか、この指とーまれみたいに、殿様気分で言わはったのは、助成金の方やで。
俺もそれは勘違いやろっておかんに言うてんねんけどな、おかんが言うにわな、アベノマスクやったら麻生はんもアベノマスクしてはるやろ、税金を管理してる人やからな、税金は無駄にするはずないから、麻生さんは絶対アベノマスクしはるやろ。けどな、テレビで見た麻生はんのと送って来たもんと違うからあれはアベノマスクやないって言うんや。
おかんは安倍はんがアベノマスクしとるん見たことあるんやろ?。なんか言うてなかったか?
おかん言うにはな、安倍はんと麻生はんと、どっちが本物かわからん言うんや。
おかんボケとんとちゃうか?
おとんが言うにはな。
おとんがいたんかいな。
おとんが言うにはそれは「アベノミックス」とちゃうかー・・・? やて。
アベノミックス? おー・・・なんか近づいてきたやんか。けど、ちょっとちゃうなあ。他にはなんか言うてなかったか?
おかんが言うのはな、千代丸はんがアベノマスクに似ているマスクを眼帯にしてはって、ちょうど良いって言ってはったらしい、て言うとった。
千代丸はん、ってあの相撲取りのか? 確かにアベノマスクは小さいらしいやん。あの顔が大きい千代丸はんが眼帯には丁度いいって言わはるのは、アベノマスクかもしれんなあ〜、おもしろそうやな、ちょっといっぺん見てみたいけどな。
おかんが言うにはな、千代丸はんの方は確信がないけど、安倍昭惠はんやったら絶対アベノマスクしてはるやろうてな、ってずっと気を付けて見といたんらしいんや。
あー昭恵はんやったら間違いな。ほんでどうなった?
それがな、おかんが言うにはな、昭惠はんは大分にホームステイに行ったからわからんかったらしいんや。
ホームステイ?ホームステイはあかんやろ?あれ密やで。ステイホームとちゃうんか?
俺もステイホームと違うかー?、て言うたんやがな、おかんが言うにはな、昭惠はんは今年は新宿の桜が見られん、つまらん、言うてな、大分まで行って桜を見る会に参加しホームステイしてたらしんや。
おとんが言うにはな。
おとん・・・まだいたんかいな?
おとんが言うにはな、それは、「アベノマサカ」ちゃうか? やて。
(ってまあ、今回はコント風に・・・)
*上の話はすべてオールドミルクボーイによる架空の物語です。
上の写真は全て妙義山の桜公園において撮影
]]>
いつもの散歩道を歩く
いつもの時間に
いつもの川の流れ
いつものように土手の砂利道をあるく
スズメがさえずる、ツバメが飛びかう
いつもの年の様に雉が鳴き始める
いつもの年の様にハナミズキの花が咲く
いつものように病院の角を曲がる
いつものようにスズメたちが寝床に帰る
教会の尖塔をかすめて陽が落ちる
「昨日ね、トマトに追いかけられる夢を見たの」
すれ違った小さな女の子が傍らの父親に告げる
「トマトに・・・」
傍らの父親が仔犬のリードを手繰りながら問い返す
遠ざかる親子の次の言葉は聞こえない
夢の話か・・
そういえば、昨夜いつものように夢を見た
よその国で道に迷う夢
いつものように抜け出せない
ハンドルを握っていたはずなのに
気が付けば歩いて崖の淵
いつもよく見る夢
夢の中で出会ったデジャビュ
いつものように東上線のガードをくぐる
頭上を電車が轟音を立てて通り過ぎる
突然! 世の中が不安定になった
全てのものが疲れ果てた
人間、ビル群の影、ネオンの盛り場、学び舎さえも
歩く事を止めたらどうなるのか
目的地にはいつか着くのか
星どもが煌めきだした
沈む太陽に向かって抗議する
お前は永遠、照り輝いて汚名を晴らせ
光冠(コロナ)はもともとお前の分身だ
太陽が微笑む
こうして、いつもの日常といつもの幻想と
いつもの様に一日が終わる
目を閉じてさえおけばいつもの日常の終わり
眼を開ければ不気味な非日常の気配が漂う。
ってまあ、今回は叙情詩的?:::
以下はカミュの「ペスト」から抜粋
誰でもペストの気持ちを持っている
内なるペストを誰も見ようとしない
ペストは決して死ぬことも消滅することもない
そしていつの日か人間に不幸の教えをもたらす為に
ペストはネズミ達を目覚めさせ、どこかで幸福な街に
送りこむのである。
*写真は全て柳瀬川河畔から
]]>
柳瀬川の夕景
それは、我が家の近くの狭い路地での事だった。1台のパトカーが私を追い越して止まった。ついさっき反対方向にすれ違ったパトカーだ。Uターンして止まったパトカーから一人の警官が降りてきて私に向かう。他に人は誰もいない。確かに私に向かってきている・・。
これより数日前、テレビで「警察24時」という番組を見ていた。その「警察24時間」の中で度々登場するのが1人のカリスマ的超直感力の持ち主の警官だ。彼らはパトロール中に挙動不審の人物の動きを瞬時に見抜き職務質問の末に、飲酒、薬物等の容疑者を検挙する展開だ。
警官が私に向かってきた時に、瞬時にあのカリスマ警官の事が頭をよぎって「興奮」するのを覚えた。自分は今、何の犯罪も起こしていない。振り返って、これまでの悪事といえば、中山道歩きの時に、道端の頭の近くまで垂れ下がっていた柿を一つちぎって甘柿かどうかを確かめるために食べて事しか思い当たらない。それとても「猿に食われる」と嘆いていた農家のおばーちゃんの言葉を聞いた後で「猿よりはいいか」との思いも有ったからである。もう一つ言えば、それはもう15年以上前の事で、たとえ私が「柿泥棒」で指名手配されていたとしても、もう時効のはずだ・・。それほど潔白で何もやましい事はない以上、いかにカリスマ敏腕警官であっても、私を検挙することはない。そして私は逆に「警察24時」を見過ぎてカリスマ警官を気取るこの警官の自意識過剰を暗に諭してやる。つまりその「興奮」は私に有利な展開からくる想定問答上の余裕の中に有った。
そして、私に向かってきたその「自意識過剰警官」は私に向かってこう言った。
「今、人を探している、あなたの名前が分かるものは何か有りませんか?」
「人探し? 私は地元の人間だけど名前は何という人?」
「〇〇さん」
「私は〇〇じゃないよ」そう言って財布の中から個人ナンバーカードを出して見せた。
「すみません、似ていたものですから」
「その人は何歳くらい?」
「80歳くらい」
「え〜80歳?私はそんな年寄りではないよ。その人は迷い人?」
「はい、捜査願いが出てまして」
こうして、自意識過剰警官への想定問答はもろくも崩れ去った。
「80歳・徘徊老人・・」何とも失望を禁じ得ない現実。「警察24時」の影響を受け、空振りに終わったのは私の方か・・・。自打球が当たった。もっと背筋を伸ばして歩かないと。
今日は俳句を一句
たそがれの 花見る人の 黒マスク
]]>
2020年2月27日 長野善光寺
今からおよそ2700年前、中国に杞(き)という国があった。その頃、大地は正方形で、その四隅は天柱と呼ばれる大きな柱で支えられていると考えられていた。その杞の国に一人の男がいて、空を見ては「いつか空が落ち、地が崩れ、身の置き場が無くなるのではないか」と夜も眠られず食事もとれなくなるほど思い詰めていた。有名な取り越し苦労の例えである故事「杞人憂天・杞憂」の話である。
今、世の中を席捲している新型コロナウイルス。まだ人類はその透明の正体をよく知らない。1人から始まった新ウイルスの攻撃は日を重ねるごとに累々と伝染し、山河を越え、海を渡りそして大地を覆った。そしてその感染者は100万人を超える勢いである。
地震や嵐であれば災いはいつかはどこかで止まる。少しの間、身を伏せて耐えていれば、やがては過ぎていく。しかし、見えないウイルスは四方に飛び火を繰り返しながらとどまる事を知らず人々を襲う。ほんのわずかな隙間から忍びこむ見えない敵。見えざる敵との闘いほど不気味なものは無い。今日もまた新たに世界中で数万人の感染者が発生した。それも日々加速して増える。
善光寺 イルミネーション
人間の英知はいずれはきっとこのウイルスに打ち勝つ。嵐や地震と同じように少しの間、身を伏せていればいいのかもしれない。しかし、敵は見えない透明の得体のしれない小さな細菌。神出鬼没、いつわが身に降りかかるかわからなのだ。つまり、人間の英知との時間との闘い。その前に誰かがロシアンルーレットの犠牲となり続ける。とにかく未経験な事には臆病になる。もしかしたら、あの杞の国の人も、未経験な得体のしれない災害に遭遇し、空が落ち、地が崩れると心配したかも知れないのである。相手が透明だけに、その不気味さに杞憂が杞憂で無くなるような、空が本当に落ち、地が崩れるのではないかとの不安もあり、ここに杞の国の人の気持ちを分かつ。
善光寺
そんな中、わが身を犠牲として働く医療従事者、食べるために働く労働者、秩序を保つために奉仕する役人、そして何もできない我が「後期高齢者」。そうだ、いまこそあの人たちに!
立ち上がれ、世の全ての祈祷師たち
あぶり出せ奴の姿を、赤いロウソクの炎の先に
映し出せ、大きな丸い鏡の中に
告げよ、満月の夜に起きる時の事を
告げよ、星がグランドクロスの位置に来る時の事を
立ち上げれ、世の全ての祈祷師たち
神に祈れ、神に祈れ、神に祈れ 全霊を込めて
鎮めよ、悪魔の悪戯を
炙り出せ、悪魔の正体を
そして救え、弱い者たちを
]]>
戸隠神社 奥社 2020年2月
私は今年の後半にはついに「後期高齢者」という何とも不快なカテゴリー入りする。
それにしても誰が75歳以上をもって「後期高齢」なんて領域を作ったのだ。それはいかにもあからさまで、他人の人生の長さを勝手に決め、十派一括りで、思いやりに欠け、ひいては基本的人権を侵す憲法違反ではないか…。前期か後期かはその人の人生の長さで決まる、つまり人それぞれで異なるはずだ。150歳まで生きる私の場合、まだ前期だ(笑)。
ってまあ、愚痴ってはみたが、アクセルとブレーキにの踏み違い、道路の逆走、コロナの免疫不足、などなど要注意年齢に達したことは客観的に認める他はないのだが……。
戸隠神社奥社 参道
さて、そんな中、地球上に新型コロナと言う得体のしれない厄介者がが突如として降ってわいてきた。高齢者のみならず、若者までが外での行動の自粛を求められる世の中となろうとは。大きなな隕石でも落ちてくるように不気味で、その不気味さが世界を止める。こんな時は、元気であろうとなかろうと特に「後期高齢者」は余計に家の中に引っ込んで、静かにしておかなければならないのであろう。が、待てよ、若者はたとえ今年の束縛が有っても、未来のチャンスは長く残っている。(私は150歳まで生きるかもしれないが)健康年齢はカウントダウンの段階だ。その意味で1年1年の時間の費やし方を考える。コロナの為に貴重な時期を逃すのは人生の損だ。
戸隠神社奥社 参道
2月最後の週、車を運転して雪国に向かった。雪国に向かうには理由が有る。昨年の経験から車のタイヤを冬用のスタットレスに変えた。スタットレスは初めての事だ。しかし、今年は暖冬。一度もそのタイヤの効果を試すことが出来ないまま冬が終わろうとしてる。どうしても一度雪の上を走りたい。
例によって気の向くまま。雪を求めて信州に向かった。それでも暖冬は信州も例外ではなく、戸隠に向かう山中でやっと雪道と出会い目的どおりスタッドレスの効果を確かめる事ができた。ナビの見間違いは時々あったが運転への何らの不安もなかった。翌日の白馬への狭い山道を通っての山越えもの快適だった。こうして、コロナからのひと時の脱出、新タイヤの試しを通して、座して待たず後期高齢期の貴重な時間をる小さな冒険んで体験できた。
時々やってみるか。
最後に川柳を一句
唐土(もろこし)の
透明爆弾 海渡る
桜を愛でる頃な(コロナ)のに 老真
戸隠神社奥社 参道
]]>
いつもの散歩道 柳瀬川河畔
つい2か月前まで世の中がこんなに混乱する事態になるとは誰が予想したであろうか。その頃、中国で新型ウイルスの感染者が出たというニュースはちらほらあったが、対岸の火事程度の認識の中に有った。日本の防疫体制ならその程度のウイルスは簡単には入り込むことはないのだろう、と何となく楽観していた。それよりも、その頃はあのカルロス・ゴーンさんのドラマチックな脱・日本の逃亡劇に沸いていた。同時に日本の国境管理の甘さを悲観しつつも、ウイルスであっても入国の方は堅固であるに違いないと高をくくっていた。
中国の場末の市場の片隅に生息していたたった一匹のこうもりから始まった伝播劇。カルロス・ゴーンおじさんの脱・日本劇。彼は楽器箱に姿を隠したが、新型コロナは人体の中に潜んでセキュリティをすり抜けてしまった。せめてコロナも楽器箱の中であったなら今度こそはチェックの網にかかったかもしれないのに・・。
いつもの散歩道 柳瀬川 鈴なりのスズメ
それにしても日本における新型コロナウイルスの死者は30人にも満たないのに「見えざる敵」は経済、文化、スポーツとあらゆる方面に攻撃をかけ、かく乱した。ここまで発達した人間の英知の結集であるAIさえも見えざる敵の攻撃になす術がない。人間の脆さなのであろう。
さらに今、アフリカ北東部で発生した400億匹ものバッタの大群が農作物に壊滅的な打撃を与えているようだ。コウモリとバッタ、この小さな小動物たちが発達した人間の英知を蝕む。これはあるいは発達しすぎた人類の知恵、貧富の差、利己主義、保護主義に警告を与える見えざる神の手、つまりは自然の摂理かも知れない。
柳瀬川河畔
さて、偉そうなコメントはさておき、無職の身にある私にとって健康を保つことが一番大きなタスクなのだが、諸々の自粛ムードの中で健康を保つための方策である活動が大きく制限されて、家の中で過ごす時間が増えた。このままでは老化が加速するのではないかとの恐れもある。そこで、アンチエイジングの方策の一つとして、かつて歩いていた「どこかの細道」つまり、このブログを再生しようと思う。
これからは出来るだけコンパクトに写真を掲載しながら、たわごとを綴っていきたい。今回はとりあえず再開のプロローグと言う事で。次回は来週頃。
柳瀬川河畔
]]>
2019年3月 いつもの散歩道から 柳瀬川夕陽
時間の経過の速さについて話題にすること自体、何だか人生のゴールへのカウントダウンが始まったようで何となく抵抗があるが、私のこのブログ、気が付けば一年間も更新していない。この間、いつかは更新しよと何度か写真まで決めていたのだが、?つい後回し′ にしていると、季節も移り用意した写真が季節外れとなり、それを何度か繰り返しているうちにあっと言う間に1年が経った。そしてうかうかと時を過ごしている間に、あと数週間で元号も新しくなるところまで時間が進んだ。ここは一つ平成の終わりに当たって一念発起。久々にパソコンの前に座った。
いつもの散歩道 柳瀬川
(新元号についての考察)
あと数週間で新しい元号が決まる。マスコミでも新元号の名前について取りだたされたりしている。そこで驚いたことがある。ある著名な学者がこれまでの元号、明治・大正・昭和・平成の英文表記の頭文字M・T・S・Hで表記される元号名は避けれらるだろうと真面目な顔で述べていた事である。確かにそういう表記をしている書類はいまでも散見される。データー入力の簡便化からの発想なのであろう。しかし、元号を英文の頭文字1字で簡略化すること自体、元号への敬意がそもそも欠いているいるのではないか。コンピュータ―対応ができない組織の為に、頭文字の制約の中に伝統的な文献や史実、由緒、未来への志向を示す元号名の範囲を狭めるのは、本末転倒ではないかと思う。元号を選ぶ学者たちの中にあっては、是非、昭和以前の伝統的な元号選びに則った、柔軟な対応力を持った人たちで構成してもらいたいものだ。
柳瀬川河畔
さて、そんな堅い話はさておき。脳トレの一環として、自分なりに新元号名を推測してみた。字画、音読み、由緒、世相等を組み合わせると思い浮かぶ名称は私の範囲内ではかなり絞られる。希望をつなぐ、暗くならない、由緒も有る。字典を眺めながら検証を重ねて絞った結果、消去法で「安」を頭とした名称が浮かびあがった。この他に災害からの復興、東京五輪を迎える年を含むことを考えれば「輪」も考えられるが、字画が多すぎる。
安の中で由緒を探すと安心立命、安宅正路がある。そこから2字を取って「安立」「安正」となるが安正は安政の大獄と発音が重なり。ここでも消去法で残るは「安立」。
2019.02.柳瀬川早朝
って事で、どこかの細道での元号は「安立」に決まりました。英文の頭文字はA。図らずも頭文字はMTSHではないが、有識者での元号選定にあたっては、それも含めて検討してほしいものだ。
では、See you after new Gengou !
]]>
2018年3月9日 台湾嘉儀 ランタンフェスティバル
思いきれない 未練が重い
鐘が鳴る鳴る 哀れむように
二度も三度も 恋したあげく
やはりあなたと 心に決めた
汽車がいくいく 瀬戸内ぞいに
沈む気持ちを振り捨てて
京都から博多まで あなたを追って
今日も逢えずに泣く私。
これはご存知、あのどこかで謎を秘めた妖艶な歌手藤圭子が歌った「京都から博多まで」の歌詞の一部です。今の世代は藤圭子よりもその娘宇多田ヒカルなのでしょうが、ふとこの歌の事を思い出しました。
思い起こせば藤圭子の半生は前川清との結婚、離婚、アメリカでの大量の米ドル持ち出し、突然の死など、とかくドラマチックで謎めいたものでもありました。さらにあの独特のハスキーな歌声は一層の何やら秘められたものとして伝わってきました。とは言っても私は、何も藤圭子のファンでも特別の思いが有るわけでもありません。ただ単に「京都から博多まで」という歌を思い出したからに過ぎません。それは友人トシユキ君のある唐突な出来事によるものからなのです。
少年時代からの友人トシユキ君は先月どういう風の吹きまわしか、突如、生まれ育った福岡の住まいを引き払い、家族もろとも京都へと転居したのです。つまり「博多から京都まで」。トシユキ君この決断はまさに唐突で、その動機を思うに少しばかり不可解な謎に満ちた決断に感じたのです。ここに、謎多き藤圭子とその歌「京都から博多まで」が重なって、冒頭の歌詞を思い出したのです。
話は少し遡ります。昨年11月の福岡帰省時に彼と一緒に立ち寄った宮地嶽神社の境内に、今年の厄年と共に注意すべき生まれ年として「九星学上の'一白水星’は今年(2017年)は八方塞がりで身動きできない」との立札が有ったのです。トシユキ君と私は同じ年の一白水星。本当は予定していなかった宮地嶽神社に来たのも何かの定め、しばしこの「教訓」を頭の中に留めておいたものでした。ただ、この九星学上の「お告げ」によれば、立春過ぎには新たな「定め」が始まり、我々一白水星は隆盛な一年になろうとの事なのです。トシユキ君から、転居の葉書が届いたのは立春をすぎてほどなくでした。昨年の帰省の時にも、なにやら謎めいたヒントは語っていたのですが、その時は、先を見越してのホームにでも入居でもするのかな、と漠然と思っていました。一般的には故郷を離れた多くのシニア層は、リタイア後はUターンして故郷を目指すのが多いはずですから。
彼は京都に移った本当の理由を明かしてくれません。その行動を開始した時期が九星学にちなんだものであるかどうかも分かりません。むしろそれは最近とみに増えてきた私の「妄想癖」かもしれません。しかし、普段は時には神の啓示さえも私に教えてくれるトシユキ君が、今回の事については多くを語りません。彼が語ったのはたった一言、曰く「古池や かわず飛び込む 水のおと」。かれは心境をこの句に託したのです。トシユキ君はこのように色々な謎かけをして我々を翻弄する喜びを持ち合わせているのです。
私は、ここでこのトシユキ君の謎かけに応える事にしました。つまり、謎には謎で。とは言っても、トシユキ君の様に俳句で謎を暗示する術は待ち合わせていません。かと言って和歌、短歌、都都逸、講談、漫談、ポエム、どれも才能あるわけではありません。そこで思いついたのです。やや苦し紛れですが、せっかく「京都と博多」のキーワードで強引に藤圭子との重なり部分を論じた手前、それにちなんで、私なりにトシユキ君に成り代わって演歌のようなものを作詞してみたのです。しかし、この歌詞の情景は現在ではありません。半世紀ほど遡った情景、つまり、黙して語らないトシユキ君の京都転居の原点がここに有った筈だとの妄想を込めて、若き頃のトシユキ君に成り代わって・・・・。題して「博多から京都まで」。
涙を溜めて早鞆(はやとも)渡る
佇み見れば二つの影が
光りの中に揺れ動く
小鳥かくまう流れのように
あなたの面影消えていく
博多から京都まで
冷たい雨が降ればいい
博多から京都まで
冷たい雨が今はなぐさみ
写真はいづれも台湾で毎年一度開催されるランタンフェスティバルです。今年は2月5日から11日までの期間に開催されました。
]]>
柳瀬川土手から見た朝の富士山
我が家の前には柳瀬川と言う川が流れている。この川は家から2キロ下流で新河岸川と合流しさらに2キロで荒川に合流する。又、一部は東京都内を流れる隅田川にも通じている。歩いて健康を保つことが一つの「仕事」とする私にとっては、この川の土手がある環境は信号もなく、立ち止まることなく歩ける格好の仕事場である。数年前まではここを歩く時間は早朝であった。特に冬の朝は土手から雪を抱く富士山がくっきり見える。ここから見る富士は前方に鉄塔やマンションがあるものの、角度的に都内から見るよりも裾野の方まで見える。ただ、最近は夕方の日の入りの頃を目指して歩くようにした。朝の景色は少し見飽きたことも有るが、夕方の赤く染まった夕焼けを背景として富士山がシルエットの様に浮かぶ様は写真的には変化が有って面白い。日の落ち方によって、雲の動きによって、日々の移ろいによって背景の夕焼けの色が変わる。ともかくも、私のこの歩く「仕事」はよほどの悪天候でない限り、わりと勤勉に続けている。
土手から見た夕暮れの富士山
所が、1月の大雪にこの「仕事」が出来なくなった。雪が降ったのは1日だけだが、低温が続き土手の雪が一向に融けなかったからである。大雪の影響が死活問題の本物の「仕事」をしている人に対し、たかが歩く事が自分の「仕事」と自認することはいささか不謹慎だが、とにかく歩ける体力を保つことが、他人を煩わす時間や公私の出費を減らすとすれば、今できる事の一つだとの思いである。
いつもの散歩道 柳瀬川土手 18.01.22
さて、この大雪での「仕事」の欠勤は2週間ほど続いた。漸く「仕事」が再開できたのは2月4日。雪解けが進み、やっと土手も普通に歩けるようになった。そして、その前日、福岡のトシユキ君から届いたメールを思い出した。
「いよいよ明日は2月4日、立春。塞がっていた扉が開きます。今夜は皆既月食で・・しばらくすると・・また天の天戸が開き、天照皇太神がお出ましになります」。
トシユキ君は時々神の啓示を受けて私に伝導してくれる。九星学で私と同じ一白水星のトシユキ君は八方塞がりの呪縛が間もなく終わることを伝えてくれた。九星学は立春を境に年が変わるのだ。なるほど、雪で閉ざされた八方塞がりの仕事道は、立春のその日に道が開けた。
柳瀬川土手 18.01.22
もっとも、一白水星は日本の総人口の9分の1、即ちおよそ1千3百万人の人々が八方塞がりの危うい立場になるなんてナンセンス・・・。って事になるのであろうが、もうこの歳に至れば、神々の啓示、運勢学、占い、迷信、ひいては健康診断に至るまで、都合の良い所だけを捉えて、いかに楽天的に生きるかが、本当の「仕事」だと思う今日この頃でありまして・・・。 今年の九星学の一白水星は力強い1年となる・・・・らしいのです。
自宅横 18.01.22
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
写真展出展のお知らせ
今年も我が写真クラブの写真展を下記の要領で開催します。ついでの際にでもお立ち寄りください。
1.名称:第18回 写写塾写真展 「自然と共に・・」
2.期間:2018年2月16日(金)〜2月22日(木)
時間 平日10:30〜19:00
土日11:00〜17:00
最終日10:30〜14:00
3. 場所 : 富士フォトギャラリー銀座
東京都中央区銀座1丁目2-4
サクセス銀座ファーストビル4階
クリエイト銀座本店
4.アクセス:メトロ銀座線「京橋」3番出口徒歩1分
メトロ有楽町線「銀座1丁目」7番出口徒歩1分
URL http://www.prolab-create.jp/gallery/ginza/ (URLの下方に地図が有ります)
写真に風景興味おありの方、ご来場お待ちしています。(私は日曜日は会場にいません)。
瓜生。
2018年1月26日 日比谷公園
]]>
福岡県篠栗町 九大の森 2017年11月
今年もあと3週間。振り返ってみると、このブログの更新はこれまでにわずかに2回。昨年は9回、一昨年は12回、さらに3年前には18回更新しているから、漸減から激減へとなってしまった。この間、何か特別大きな変化が有ったわけでもない。
この様な習慣の変化は、何もブログ更新の減少だけではない。毎日のウオーキングや朝のストレッジ体操は自分自身へ何かの好都合な理由を思い浮かばせてはその回数を減らし、電車では読書やヘッドホーンを付けて何かを聞くことよりも目を閉じて睡眠。つまり色々な事が「なんか面倒だな」と思うようになってきている。寄る年波だろうか?
それでも私は多分、歳の割には老いに抗う事を幾つか実践している方だと思うが、その幾つかが減りつつあるのだろう。しかしそれを「寄る年波」と悟ってしまうにはなんだか抵抗を感じる。ならば、抗ってみるか。
篠栗町 伊野神社 2017年11月
思う事がある。今まで計画倒れになっていた小さな冒険を実践してみることにした。先月、急に所用が出来て福岡に行った。往きは新幹線を使ったが、帰りは「夜行バス」で帰る事にした。福岡から東京まで夜行バスで14時間。普通の爺さんはこの14時間の、しかも若者向けの夜行バスに乗る発想はない・・・はずだ。歳に抗う小さな冒険。
夜行バスに乗ってみたいと思っていたのは、関西に住む知人が時折夜行バスで上京していることを聞いて、50年前の九州から急行列車で20時間以上かけて上京したことに重ねたのだ。窓枠にワンカップの酒とつまみを乗せて、チビリチビリと飲みながら移り行く夜景を眺める、頭の中で流れるのは演歌・・・・。夜汽車に乗って。
福岡県 糸島市 雷神社 2017年11月
だが、50年の歳月の経過は、心の旅路を風化させ、無機質な景色へと移ろい、演歌の世界は遥か彼方へとを遠ざかっていたのだ。
夜行バスの中は座席の左右はカーテンで仕切られ、朝の7時まで窓側のカーテンは開けられず、車窓の景色は味気ないただの布切れの幾何学模様に変わっていた。この暗く狭い空間の中での14時間はかなりの忍耐を強いられる。ヘッドホンでお録音したサンドイッチマンのお笑いを聴きながら寝るしかないのである。さらに厄介なのは避けられない年波の症状、安眠できない中ではトイレが近くなる。これも50年前にはなかったストレス。後悔の中で残ったのはただ尻の痛みだけ。しかしそれでも、年波への抗いはちょっとは成し得た、と自分を慰めるしかないのである。
閑話休題
福岡に滞在中、トシユキ君と宮地嶽神社に行った。その境内に厄年の該当年齢の他に、九星学での一白水星生まれの者の厄払いの案内がでていた。一白水星は2017年は陰陽学上、八方塞がりの年で「何をやってもうまくいかず、新しい事をやってはいけない」とある。
私はその一白水星の生まれである。なるほど、夜行バスの旅は今年はやらない方が良かったのかもしれない。ちなみに、この八方塞がりの歳の抜け道は「何もしない」ことらしい。すると、ここ数年の「なんか面倒だな」症候群は正しい選択だったのかも知れない・・・・。ただ、私は元来この種の「運命学」はあまり信用しない。一白水星の人間はこの世界にあまたいる。人それぞれ一様の宿命にあるわけではない・・・。そう思っていた。
糸島市 雷山観音
八方塞がりと言えば現在の角界。中でも貴乃花親方の頑固さはちょっと信じがたい程だ。彼の頑なさは自分自身の立場を益々窮地に追い込むだけの様に見えて仕方ない。まさに八方塞がり、どう打開させていくのだろう。もしや彼は?八方塞がり?興味半分のネット検索をしてみた。なんと彼は本当に一白水星の八方塞がりの年だった。道理で動かない。ならば、ついでにもう一方の当事者、八角理事長も検索してみた。えっ!彼もだ。八方塞がり同士のがっぷり四つの膠着状態。これじゃ埒が明かないはずだ。運勢学も正しい運勢を表しているようだ。ならば、も一つついでに貴ノ岩。ワーオ!貴ノ岩も一白水星。
金縛りの現状はこれで理解ができた。打開策は「何もしない事」らしい。とりあえず、八方塞がりの呪縛が解ける来年の節分までしばし「水入り」で開運を待つ。この事を相撲協会に伝えるべきかな。フフフ・・・。
こうやって、情勢を運命学的に見てみると九星学の「お告げ」もまんざらではない。自分は信じないと言っていた運勢学も見方を変えてみるか。ならば、八方ふさがりの呪縛から解き放たれる来年こそ「年波」の波をうまく乗り切って、再び何かの小さな冒険に挑戦していきたい。
終り
篠栗町 伊野神社
]]>
2017年8月26日 大磯 照ヶ崎海岸
ふと思いついて8月の早朝、大磯の海岸にアオバトの写真を撮りに行った。
このアオバトは普段は山の中の樹林の中に生息するのであるが、夏から秋にかけては海岸に現れる。海岸に現れる理由は塩分やミネラルの補給の為であるらしいが、ちょっと不思議なのは現れる場所は必ず同じ海岸の同じ岩礁だという事だ。大磯のアオバトは30キロほど離れた丹沢の山の中から飛来して決まって同じ岩礁に留まる。アオバトのDNAの中に個体を健全に育てる為に岩礁との相性をはぐくみ、習俗を作り上げたのであろう。
アオバトの棲家の丹沢からこの大磯の海岸は近い、付近には適当な岩礁もなく、海水を飲んだり浴びたりするには絶好の場所なのであろう。この距離的近さとおあつらえ向きの岩場から、いつも同じ海岸の同じ岩礁を目指すのであろう。
しかしふと考える、この近くでは適当な岩礁はここだけの様である。もしこの岩礁が津波か何かで消滅したら、あのアオバトは何処に行くのであろうか。有ったはずの梯子が無い。一瞬にして失った長年の習俗の変化は一大事に違いない。広い海を見つめながらそう考えた。
ー閑話休題−
私は、高めの血圧、血糖値抑制の為に10数年来近くの病院に行って薬の処方箋を貰っている。現役中は転勤や医者嫌いで、そもそも病院に行く事は無かったのだが、寄る年波にはいつまでも抗しきれず、今はいつも決まった病院に定期的に行っている。この病院の先生は私と同年輩の穏やかな方で、なぜか心が休まる。血圧測定の時も他の病院では生じる白衣高血圧は無く、むしろいつもより低いくらいだ。血液検査の際も結果が出る前に「あなたは問題ないよ、顔色みればわかる」と予言してくれた。果たして血液検査の結果は血糖値も改善し、先生の予言通りとなった。先生の医療技術の腕前は分からないが、医は仁術、そう思わせるものが有る。
ところが先日、いつもの薬の処方箋をもらうべく診察を受けに件の病院を訪ねた所、病院のドアの前には「都合により休診します」との張り紙が有った。休診から2週間。すでに薬の在庫は無い。ま、持病と言っても自覚症状は全くないし、1か月くらいは薬が無くても何とかなるとは思うが、そうは言っても先生の復帰の見通しはわからない。どうするか。戸惑いながら3週間目を迎える。何だか健康保持の為の梯子がどこかに行ったようだ。
こうやって、あのアオバトの岩礁消失の仮定の物語を思い出しながら、私の掛かり付け病院の突然の休診という、どちらも梯子を外されたような、他愛のない連想を重ねた。
最近、このような他愛のない連想が頭をよぎる。それはきっと老いからくるものかもしれないが、もう一つ、現役時代のようなストレスが無くなったせいでもあるのだろう。今までは無意識の中に流れて行っていた多くの些細な事を、最近は何かと人生の流れの中に関わらせていくような事が有る。つまりはそういう時間が生まれたのかも知れない。それはそれで脳を活性化させる一つの脳トレ・・だと思っている。
ただ、妄想、幻想、錯覚、ひいては幻影、幻像、イル―ジョンに陥らないように気を付けながら・・・。
久々のブログ更新は決して妄想、幻想、錯覚が高じたものではない。そろそろ「何も便りが無いと、あー、あの人はいい人だったのに」って言われそうで、ただ怠惰になりがちな最近の生活にちょっと変化球。まだ「いい人だったのに」とは言われたくない。
2017年10月11日
]]>