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望郷の念

 2014年7月7日 福岡 キャナルシティ博多の飾り山笠
  (写真はクリックすれば大きくなります)

2週間前、姪の結婚式で福岡に帰省した。そのついでに、未踏の地、宮崎、鹿児島にも足を延ばしてみようと福岡在住の同級生のトシユキ君を誘った。トシユキ君は同行に賛同してくれたが、折からの台風8号と停滞する梅雨前線の影響で九州地方は大雨。宮崎、鹿児島行きはあきらめ早めに埼玉に戻ることにした。それでも飛行機出発までの夕方まで、トシユキ君が市内の飾り山笠に案内してくれた。この時期、福岡市内は7月15日の追い山をクライマックスに、市内の街角には20か所以上飾り山笠が飾られている。飾り山笠をじっく見るのは、学生時代以来だから、それから早や50年近い時が経つ。


      博多キャナルシティ

私は福岡県出身だが、学生時代までは福岡市郊外の田舎に住んでおり、当時この福岡市内の伝統の祭りを「わが故郷の祭り」とは感じることができなかった。生粋の博多っ子にしてみればあくまでも「生粋だけの祭り」にしたいに違いなく、私のような田舎者は近づいてはいけないような、一種のひがみがあったのであろう。


              博多 ソラリア
 
  
不思議なものである。時が経った今、地元という意識が薄れるにつけ、何のためらいもなくこの祭りに向かうことができる。かっての、地元でもない、観光客でもない、という半端な気持ちが薄れ、完全に遠くから来た一人の「観光客」として冷静に向かうことができたのだ。しかし、それは裏返して見れば、故郷そのものへの望郷の念も薄れ証しなのであろうか?


       ソラリア

自宅に戻って、トシユキ君との山笠めぐりの思い出をこのブログに書き始めた時、トシユキ君から電話が有った。まさに、トシユキ君の事を書いている時だった。その偶然に、面白がって話を始めたのは私の方からだった。
「いや、まさに今トシユキ君の事を書いているところだったよ」と、陽気に切り出した。が、トシユキ君の声がなぜか暗い。
「それより、オサンちゃんの事も思ってあげてよ」。
高校の同級生のオサムちゃんは病と闘っている。しかし、先月は少し回復の兆しも有るとトシユキ君から聞いていたが、トシユキ君の声が依然低い。
「どげんしたと?」。
トシユキ君は少し沈黙して言った。
「オサンちゃんが死んだ」。



 
昨年9月の拙ブログ「伊都物語」でも書いたが、当時も透析を続ける闘病の中、オサンちゃんは私とトシユキ君との撮影ドライブに、それを聞きつけたオサンちゃんは「絶対、俺も一緒に行く、医者も行ってよかって言いよる」と言って早朝6時からトシユキ君の車に乗って3人で糸島半島を一回りした。そして、半日のドライブを終えて前原の駅前で別れた。
別れ際、
「来年、又来るけんね、それまでちゃんと生きときないよ」。オサンちゃんと握手をしながら冗談交じりにそう励ました。
「うん」オサンちゃんは半笑いでそううなずいた。彼の最後の言葉だった。



        楠田神社境内
 
山笠を見ながら感じた薄れゆく望郷の念は、50年と言う時間の経過がもたらし、あいまいな視界を風化せしめる必然かもしれない。だがしかし、オサンちゃん達との思い出は、むしろ濃さを増す。命は誰でもいつかは尽きる。ましてや、もう70歳に手が届こうとする世代にとっては何が有っても不思議ではない、それは自然の摂理なのであろう。しかし、やはり、そう簡単には割り切れない。オサンちゃんとしでかした数々の悪戯が蘇り、望郷の念が何故か今つのる。


 
          天神 新天町


 
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