無料ブログ作成サービス JUGEM
黄昏は彼方に

   2015年10月18日 北海道美瑛の丘より

そこは、我が家の近く、東武東上線の線路伝いの古びた小さなビルの2階にある。自動のドアが開くと「春の小川」のチャイムが鳴り来客を知らせる。季節は秋なのに。中に入るとすぐに使い古しの丸椅子が4、5個並んでいて、ちょっとした待合室になっているのだ。しかし、そこに座ってる客をこれまで見たことはない。いつも待つほどの時間は必要ない。

「いらっしゃい」。その日も待合室の丸椅子に腰掛けるまでもなくすぐに奥に通された。「こちらへ」、そう声をかけたのは70歳絡みのオヤジである。マスクからはみ出た顔は浅黒く髪の毛はモジャモジャである。「久しぶりですな」、男はポイントカードに記された手書きの日付を見ながらそう言って私の頭を撫でる。

チョキ、チョキ、ハサミの音はゆっくりとした2拍子。2拍おいてまたチョキ、チョキと2拍。動きが遅い。チョキチョキチョキ、昔のリズムは少なくとも3拍子。が、モジャモジャオヤジは2拍子を崩さない。切れ味を欠いたハサミは時折髪を引っ張る。部屋に清潔感はあまりない。古びたポスター、水道の蛇口には漏水防止の白いゴムテープがぐるぐる巻かれている。それにオヤジのモジャモジャ頭。「紺屋の白袴」ならぬ「床屋の不精髪」。ガラス越しには電車が映り。ガタガタと室内に音が響く。いかにも場末の床屋。それでも、仕上がりはそんなに悪くない。(もっとも、仕上がりが気になるほど我が髪の量は多くないが)。「はい、1,575円」。20分足らずでうまく仕上がる。気取らない時間が流れるこの場末の床屋の雰囲気が好きだ。



   2015年10月16日 北海道 白金温泉付近 青い池

「いやー、痩せたねー」。老先生は私を見る度にいつもそう言う。この「痩せたねー」のくだりは、2ヶ月に一度訪ねる「老先生」の私を呼ぶ時のいわば枕詞だ。ちなみに私の体重はここ数年全く変わってない。確かに10数年前から体重からは8キロ減っている。最初は、よほど10年前のあのメタボ体型の印象が強かったのだろう、とそう思っていた。だが、どうやらそうでないようだ。先月、この老医師の定期診察を受けた時「Uさん、今年は肺炎球菌ワクチンの割引年齢だね、やっとく?」と尋ねられた。「いや、先生、それは前回すでにやってもらいましたよ」。そう言うと老先生はカルテを見返しながら「あ、ホントだ、ハハハハ・・、おー、所でゴルフはどうだった?」。老先生はメモ魔だ。私との会話の要点はカルテにメモしてる。前回のゴルフ談義の事もカルテに書いていたのだろう、先生は肺炎球菌話をゴルフ話で繕った。そしてそれで分かったのだ、あの毎回の「痩せたねー」の私への枕詞はカルテのページの見間違いだったのだ。きっと毎回、カルテの最初のページだけを見てそう言っていたのであろう。

この老先生を医術の観点から見ればやや頼りない。しかし老先生は優しく親しげに話してくれる。気持ちが何となく落ち着くのだ。この先生に測られる血圧はいつも普段より低い。病院を変えるつもりは全くない。老医師はきっと仁術に長けているのだ。



     2015年10月16日 北海道 黒岳より

「あなたは、考えが甘い」妻がそう言う。今住んでいるマンションは14回建てだが、我家は2階でエレベーターが止まらない。「今はいいけど、いずれ2階までの階段が老後のバリアになり、この階段も登り降りできなくなる、そろそろもっとバリアフリーの場所を見つけて引っ越すことを考えないと」。妻は母親の介護の経験から、数段の階段が如何に生活に支障を来すか知っており、それを知らない私には階段の大変さがわからないのだと言う。「今、我が家の周りは老人所帯ばかり、2階に住んでいても、いずれそれがバリアにならない技術やサービスがビジネスとして発達する」私はそう反論する。2階でも不満はない。



おぼつかない手つきの床屋のオヤジ、記憶が曖昧な老医師、そして周りは秋の景色。なるほど、この景色は悪くない。が、秋の日のつるべ落とし。季節は一気に変わるかも知れない。いつまで妻の危惧に抗するか。せめて、階段の2段飛び、毎日1キロのバット200スウィング、5キロ50分の早歩きを続ける。

今日、ふと思い立って、机の引き出しの隅で1年間止まったままだった腕時計の電池交換をした。時計は何事もなかったようにまた動き始めた。まだ、黄昏は彼方に・・・。 




   上の写真3枚はいづれも美瑛の丘より
 
| 老真 | - | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
彼岸花咲く細道

     2015年9月23日 柳瀬川右岸

もう10年も前の事である。東京日本橋から、京都三条大橋までの中山道を完歩したことがある。完歩と言っても当時はまだ会社勤め。一気通貫の完歩ではなくて、休日ごとの尺取り虫的な完歩。それが故に折々の四季に触れることもできた。

そしてあの関ヶ原を歩いていた時である。季節は秋の始め。田圃のあぜ道には彼岸花が咲き乱れていた。一人でのテクテク歩きは時折、空想や妄想や幻想の世界が広がり、挙句、自己流の物語へと展開させる。最初はあの彼岸花は関ヶ原の戦いで倒れた兵士達への手向けの花なのだろか、とのありきたりの空想だったが、いつの間にか、あの赤は傷ついた兵士の血によって産まれたもの。何千もの兵士がここで倒れ、血を流し、その血が地中に染みて、雑草の茎を抜けて赤い花となった。そう物語を作った。




我が人生を振り返って、何か一つの事を達成させたものがあるとすれば、それはあの中山道完歩だけかも知れない。それ故に、何かと様々な事を中山道の道中の思い出に重ねてみることが多い。

我が家の前を流れる柳瀬川の右岸を500メートルほど溯ると土手に彼岸花が咲いている。この花を見る時は今でも中山道で作ったあの小さな物語を思い出す「この赤は兵士の血」。




その彼岸花の群れの上に一匹の黒アゲハが飛んできた。黒アゲハは彼岸花の群れの上を何度も旋回したが、赤い花に止ろうとはしない。何度も旋回を繰り返し、挙句に止まったのは赤い彼岸花の群れの中にポツンと咲く白い彼岸花の上だった。あ、黒アゲハもやはり、赤い血の蜜を避けた。



そして、黒アゲハは白い彼岸花の蜜をたっぷり吸って、今度は迷う事無く一目散に土手の向こうへと飛び去った。もう、黒アゲハが戻って来ることはなかった。一夏だけの短い命の最後の一滴は、血の蜜をためらって、白を選び天界へと旅立った、のだろう。

確かに、中山道歩きで思いついた小さな物語は、このように今でも折に触れて思い出し、何かと関連付ける。しかし、それはもしかしたら、折に触れてではなくて「老いに触れた」かも知れない。先月、とうとう古稀を迎えた。古代より稀な歳なのだ。せめて小さな物語を作りつつ、老いに贖っていかないとね。
拍手 クラッカー








写真は全て2015年9月20日から23日までの柳瀬川右岸。



 
| 老真 | - | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
夏枯れて

    2015年8月17日 伊豆修善寺から
     
安部公房の「燃えつきた地図」に続いて「他人の顔」を読んでいる。既に名が知れた小説なのでそのストーリーは大体わかってはいる。そして、起承転結という単純な枠にだけ当てはめたとき、自分であればこの物語は原稿用紙10枚もあればそれを完結させるに違いない。だから30数年前、安倍公房を読んだ時は、ついつい残りのページの分量を測りたくなるほど難解で疲労し、ただ読み始めたという義務感だけで活字を追っていた。それは、山に登るとき、疲労の中に思わず頂上を眺め、道のりの長さに悲観する、あの思いに近い感覚で読んでいたのだ。そしてついに、その前途を思い多難さに負け、多分10分の1も読まないうちに諦めた。しかし、齢を重ねた今は少し違う。小説家の真髄の在り場所を探る事が出来るようになったのだ。話の展開をあまり追わなくなった。芸術家は山を築き、谷を堀り、川を逆流し、闇を駆け、本能に挑み、心の琴線にまで触れながら話を進める。つまり、話の展開よりも文字や情景を鑑賞することができるようになったのだ。ストーリーとは離れてその情景を味わいながら読みすすめていく要領を心得たのである。


   2015年8月17日 伊豆修善寺

その安部公房の「他人の顔」を読み始めたのは7月の終わり、大腸ポリープ摘出の為に2年半ぶりに入院した時である。余談だが(もっともこのブログ自体は全て余談だが・・・)また大腸に大きなポリープが出来て入院した。前回の20ミリの大きなポリープに続いて今回も10ミリの大きさだった。

 
   
      2015年8月18日 伊豆七滝の出合い滝  

そして、担当医師からは「大きなものが2年間で出来るのは危ない、癌化しているかもしれない」と宣告された。幸いにも2週間後の組織病理検査の判定ではポリープは良性であったが、その判定結果が分かるまではやはり不安であった。正直言って、この間はあの「他人の顔」の暗く陰鬱な世界に入る事は躊躇われ、もっと楽しい夢を追いつつ、これを読むことから遠ざかった。

組織病理検査の判定から今日で既に20日近くになる。いつでもあの陰鬱な世界に入れるゆとりはあるのだが、まだあの「他人の顔」はまだ完読していない。だが、決して30年前の様に読むことを放棄したわけではない。活字の中に情景を鑑賞する事を心得た以上、別にストーリーを追わなくてもいい。そういう気持ちが、読む速度を遅らせる。そうやって情景を鑑賞しながら、今、51ページ目までを読み終えた。この小説の終結は342ページ目だ・・・・。(多分、30年前は超えた)。



     2015年7月8日 蜘蛛の糸

閑話休題
今、国会では安全保障法案を巡って与野党の攻防が続いている。法案の是非はよくわからないが、ともかく、将来の日本の命運を担う重要な法案なのであろう。何よりも国民一人一人が広い見地に立って、法案の中身を俯瞰して見ることなのだろう。決して「他人の事」としてはいはない。私はこれからも安倍公房の「他人の顔」を読みながら、安倍首相と野党との「安倍の攻防」を注視し続けることに・・・・。なるのかな??


・・・・って、まあ、夏枯れの話題の中で。




 
| 老真 | - | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
雨に濡れた地図(3)

 2015年7月25日 志木市花火大会

帰省先の福岡でOさんとCさんの二人の策略にまんまと引っかかって、撮影旅行のつもりが長崎の片田舎にある「アンデルセン」という、不思議な「4次元パーラー」に行った。このアンデルセンの主人の「超能力」ぶりは10年以上も前からOさんから聞いていた。その主人に会う前のイメージは、仏頂面で目つき鋭い陰気なおっさんであったが、実際はユーモアと軽妙な話術で話が展開し、驚愕的なテクニックと共にやはり惹きつけられるものはあった。しかし、この種の類似のマジックは最近テレビでも時々見かけるし、所詮はその延長であろうと思っている。Oさんの様に、彼が空間や時間を操る「超能力者」として信奉する事はせずに、彼は「超」能力の持ち主なのだと、まあ、クールに分析することにしておこう。ただ、この「超」能力者の信条は「様々な現象は偶然ではなく必然、シンクロ二シティ現象も起こるべくして起きるのだ」と言う事だが、果たして次の日に起こったシンクロ二シティ現象も起こるべくして起こったのだろうか? それとも単なる偶然なのだろうか?



「アンデルセン」訪問の二日後、福岡では空白の時間があったので、時間につぶしにマッサージでも行こうと、スマホで「天神近くのマッサージ屋」を検索して天神のオフィスビルの中にあるマッサージ店を検索し予約した。そのマッサージ店は天神のオフィスビルの地下にあった。その日は日曜日で夜のビルの地下の人影は殆どなかった。マッサージ店に向かって歩いていると、ふと目にしたのが「Z化粧品」のショールームだった。このZ化粧品、理容美容院関係ではその名は知られているが、世間的な知名度は大手のそれではない。実はその二日前、Oさんと組んで私を「アンデルセン」まで「拉致」したCさんは美容業界に勤務し「Z化粧品」の事はよく知っておられた。そして、偶然にも前日にCさんとこの「Z化粧品」の事を話題にしたばかりだった。実は私はこのZ化粧品の前オーナーとは懇意にしていたのだ。4年前に彼は他界したが、私のこのブログ「自画像」(2011年8月)、「我是ムッシュジャポネ(3)」(2011年10月)、「江南の春(1)」(2012年4月)で度々登場したAさんである。久しぶりにAさんの事を思い起こし、Aさんの事を話題にした翌日に、全国でも数箇所しかないAさんの会社のショールームが、ネットで誘われたマッサージ店と同じ狭いビルの地下に突如として現れようとは思いもよらなかった。



さて、この「偶然」はそれだけではない、当日マッサージを終わって、もう一度「Z化粧品」のショールームの前を通って、ついでにビルの地下を一回りしていると、なんとそのコーナーには二日前に「アンデルセン」への旅から戻って3人で食事をした海鮮レストランがあるではないか。つまり、マッサージ屋を真ん中に、コーナ−を回ったところに「Z化粧品」のショールームが、そして反対側のコーナーを回った所には3人で食事をした「海鮮レストラン」があるのだ。狭いビルの地下は、それでも出入り口が数箇所あって、違う入口から入ったために、それぞれが同じビルだとは全く気がつかなかった。いや、例え気がついていたとしても、このビルを巡る三つ巴の関係は不思議なシンクロなのであろう。
所が、この「偶然」はまだ終わらない。実はこの「海鮮レストラン」は、昨年、やはりこの時期に来福した時に昼食を共にした高校時代の友人トシユキ君ともここに来ていたのだ。さらに、トシユキ君に言わせると「ここは6年前、久住登山の後に開いた同窓会と同じ場所だよ」。という事だ。この時の事も我がブログ「記憶の干渉」(2009年6月)に書いている。




私の住まいである埼玉から遠い福岡の地の一つのオフィスビルをめぐって起きた4つの出来事が「偶然」であれ「必然」であれ、それは例えばネガがポジになった事にも似て、思いがめくるめく。ともあれ、その起きた事実のタイムリーさにはやはり四次元オーナーの言葉を意識せざる得ない。そして、もう一つ、正に読みながらポジがネガに、ネガがポジになるような偶然と必然が反転しする、不思議な国への入口の様な「燃えつきた地図」を、この福岡での起きた「偶然」と殆ど同時期に読んだタイムリーさを重ねると、うまく整理できない不思議な感覚はある。そして、Cさんと行く事にしていた、大分方面への撮影ドライブは雨の為に近場に切り替え、あらかじめ用意していた「地図」は用をなさなかったが、代わりに回った唐津や糸島はいつの間にか地元ではないはずのCさんの方がずっと詳しく、なんだかむかし見慣れた感覚は、実は真の記憶ではなくて、単に既知感を合理化する為の口実に過ぎないような感覚を呼び起こした。つまり私の中で描いた地図はいつの間にか雨に濡れて、ここでもまたポジがネガに反転し、シンクロと既知感が交錯した様で、少しばかり不思議な、しかし、ほんわり仄かな思い出深い旅だった。




 
| 老真 | - | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
雨に濡れた地図(2)

 2015年7月4日 糸島市 白糸の滝 

40年前に途中で読むのを止めた安倍公房の「燃えつきた地図」をあらためて読み始め、今度はなんとか読み終えた。この小説、なんだかフランスの小説でも読む様に、一時の時の流れを、一瞬の出来事を、これでもかこれでもかと拡張させる。その余韻が時には散漫にはなりつつも、頭の中でかろうじてビジュアルなものに組み立てることができた。細切れのパッチワークを見事に紡ぐ匠の技は、やはりプロのなせる技。40年前に読んだときは活字を追う眼がパッチワークについていけず、ストーリーが雲散霧消し退屈になり、読むのをやめてしまった。やはり年と共に蓄積されたのであろう様々な光景や、角度を変えて文章としての表現力を味合う余力が小説の中でも重ねることができたからかもしれない。

燃えつきた地図の背景は、おのれの心の地図を焼き捨てて、混ぜんとした砂漠の中の地図の様に、どんな出口も見出せない都会の孤独と不安の中に自分を置くものだ。40年経って、時代とともに都会の風景も、世相も、もっと複雑な地図に変わったはずなのに、都会人の孤独と不安は、やはり都会人の性として、きっとその深層は複雑なままに変わることもないのだろう。



   2015年7月4日 唐津市 見返りの滝 

先月、所用で故郷の福岡に帰省した。所用が済んで、地元の先輩のOさんの運転で、写真好きなCさんと共に長崎方面にドライブに出かけた。ドライブと言っても、昨年は雨の為に果たされなかった「撮影旅行」に再チャレンジするつもりであった。しかし、なんと、到着したのは「超能力者」としてOさんが信奉するオーナー経営の長崎の川棚にある「4次元パーラー・アンデルセン」と言う喫茶店であった。このアンデルセンの事はOさんに何度も聞いてはいたが、私はもともと、超能力とか異次元とかシュールな世界にはあまり興味がない。だからあまり行く事に興味を示さなかったのだ。そんな私に正攻法では動かないと思ったのかOさんはCさんと「共謀」し、この喫茶店に到着するまで行き先は「大村湾」とだけだ言ったきりで目的地は最後まで曖昧なままにここに着いた。てっきり「大村湾の島のある風景」ばかりを想像していた私は、二人の策略連携プレーにまんまと引っかかった。

さて「4次元パーラー」での数々の不思議な「マジック」の話をすると長くなる。それはまたの機会としたいが、OさんやCさん言わわせるとオーナーの信条のどおり「全ての現象は、偶然ではなくて必然、(私は)来るべくして来た。」。となるらしい。さらにOさんに言わせれば、彼自身の体験として、初めて四次元体験をしてからは、「びっくりするほどのシンクロ二シティが多発した」そうだ。私は、4次元パーラーでの体験は想像以上のものがあり、ある意味驚愕の連続ではあったが、しかしそれでもOさんの様にオーナーを「超能力者」とは思わなし、あくまでも「卓越したテクニックの持ち主」の域を出るものではない。しかし、Oさんが経験した「多くのシンクロ二シティが発生した」事実は、なんと私自身にもその直後から多発した事には少し驚いている。

少し長くなりそうなので、この続きは次回に。

閑話休題
以上の文中で私は最近読んだ本は「燃えつきた地図」と書いたが、実はもう一冊の本を読んだ。それは最近多くのメディアでも取り上げられている「七十年目の恋文」という本だ。作者は93歳の女性。27歳で戦争で亡くなった夫へ、その亡き後も綿々と恋文を書き綴った物語だ。その本の作者は大櫛ツチエさん。つまり、このブログに登場するOさんのお母さんである。この本の事は7月21日のNHK歌謡ショーでも登場する。



   2015年7月6日 福岡佐賀県境背振山から




 
| 老真 | - | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
雨に濡れた地図(1)

 2015年7月4日 佐賀県唐津市 見返りの滝 

ここ数年、本らしき本を読んでいない。いつもの散歩道から見える図書館の窓辺には、既に一線を引いた我々シニア世代が、老眼鏡を鼻に引っ掛けて黙々と本を読んでいる姿が見える。電車の優先席の老人達は、スマホばかりを見る人々へ、何かの警告でも発するかのような目つきで単行本を広げる。同じシニア世代として、本来はそうあるべきかも知れない。しかし、年と共に芽生えた偏屈心がそれを遮る。今更他人が書いた本から何かの知識を得たとしても、それは誰かとの会話の材料になった後は、あるいはその前に、きっと忘却の彼方へと消えて去ってしまう。もはやそれは、終局としての自分の人格形成の蓄えとはならない。今は、本を読むのではなく、過去に読んだものからの薫陶を得てここに実践し人生の最終集とする。それこそがこの年代ではないか・・・・。

・・・・とまぁ、大げさに言えばそんな気持ちもないでもないが、簡単に言ってしまえば、本を読むよりも、語学の単語一つ覚えた方が私には合っている。そう思って本を読まなくなって久しい。



 
ところが、最近、妙に昔を回顧する時間が多くなり、その回顧の一つに、昔読んだ本の事もあり、ふと、未消化なままに終わった安部公房の小説が浮かんだのだ。もう、40年以上も前のことだが、タイトルに興味を惹かれ安倍公房の「燃えつきた地図」を読み始めたのだが、当時の若さの中にはあの、シュールなのかリアルなのか、その感覚が左右にぶれて、4分の1も読まないうちに、読むのをやめてしまった。所がどうしたことか、昔への回顧の中で、ふと「今、安倍公房を読んだらどうなのだろう」と思い始めたのだ。そして、先週、今や文庫本となった「燃えつきた地図」を買って読み始めた。



勿論、この本を読んで、今更人生の終章への糧とするつもりはない。ただ、若い時の印象や感覚と、今がどう違うのか、自分自身の価値観の差異を測って見たいと言う興味だけからである。


 2015年7月6日 福岡県糸島市 二見が浦 

さて、その結論は・・・、と言いたいところだが、まだ読み始めたばかりである。その結論は読み終えた後に述べることにしたい。(次回へ続く)
 
| 老真 | - | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
思い込み症候群

  2015年5月8日 乗鞍高原 一ノ瀬園地 水芭蕉と水面の乗鞍岳

これは笑い話しなのか、悲劇なのか、それとも黄昏時の眩暈なのか。
1ヶ月前、近くに住む写真塾のAさんを誘って、秩父の山里に撮影に出かけた。撮影スポットの近くの駐車場に車を停めて、Aさんとは2時間後に再びこの駐車場で会うことした。それまで、各々撮影スポットに向かう。「悲劇」は最初のシャッターを切った時に起こった。何と無情にも「バッテリーの容量がありません」となり、一枚もシャッター切ることが出来なくなったのだ。「おかしい、最近充電したばかりなのに」、と振り返ってみると、充電したのはもう一台のカメラの方だったと思い返すことができた。Aさんとの待ち合わせまで2時間。幸い歩くことも趣味の一つ、ここは撮影を諦めて、2時間近く野を越え、丘を越えて、「もうひとつの細道」で1万五千歩達成!。2時間後、駐車場で件のAさんが笑顔で迎える「いい写真撮れた?」。
「え、まあ、なんとか・・・・」。まんざら嘘ではない。手持ちのスマホで確かに数枚の写真は撮った・・・・・。



      乗鞍高原 白い木は、すもものの木。

2回目の「悲劇」は、これもまたAさんとは別の写真仲間グループで新潟の越後湯沢付近まで泊まりがけの撮影旅行にだかけた時だ。
今回は先の反省を踏まえて、バッテリーは念入りにチェックした。2日がかりの撮影旅行だ、バッテリーチャージも予備の電池も準備怠りなかった、はずだった。が、悲劇はまたしても一枚目のシャッターを切った時に起こった。何と今度は「カードが挿入されていません」ときた・・・。そう言えば、昨日、パソコンで以前撮った写真の整理をする為にSDカードはパソコンに入れたままだったことを思い出した。思い出すのは簡単だったが、この先の振る舞いをどうするか、それを考えるとちょっと複雑だ。バッテリーやSDカードを忘れることは写真は趣味の内といえども、それを嗜むに値しないほど基本的な失敗だ。いっそのこと、皆の手前、シャッターを押す素振りだけして2日間演技してみようか。しかし、それほどの演技力も自信がない。勿論、ここは山の中、近くにカメラや等あろうはずがない。恥を偲んで同年齢のSさんに「SDカードの予備持ってない?」と尋ねた。Sさんは、黙ってバックを探って新品のSDカードを渡してくれた。「念の為に持ってきたんだ」。プロはこれが当たり前、そうは言わなかったが、眼が語っている。



       乗鞍高原

救いの神のSさん、しかし彼には数週間前のバッテリ容量切れの事は話してはいない。したがって、私のうっかりは、Sさんには「ま、時々誰でもある事」にとどまっているはずだ。しかし、我が心中はそれほど穏やかではない。1ヶ月の内に2度の、しかも、基本的なうっかりである。心が折れまくる。しばし、神を欺くことにした。


    2015年5月12日 新潟県清津渓谷

だが、物語?はまだ終わらない。つい、4日前の事である。会社時代の同期と同期の一人が持つ群馬の山荘で2泊3日で同期会をやった。撮影会ではないが、山奥と聞いて写真心が燃えた。野鳥もいるはずだ、と、650ミリの大型交換レンズも持っていくことにした。このレンズを支えると為には大型の三脚もいる。この2つだけで総重量は30キロは越える。群馬までは車で行く。積めるものは何でももってけ、のカメラマン根性だ。「電池よし! SDカードよし!、レンズよし!」。過去の失敗を踏まえ、心の中で叫ぶ。チェックは万端。これで、野鳥を撮って、写真仲間に差をつける。「ウッ シッ シッ!」。顔がほころぶ。


     清津渓谷
こうして、大型レンズ、大型三脚の重装備一式を車のトランクに積んで、目的地に向かった。そして、悲劇は途中、ピックアップしたE君と車の中で雑談を交わしている時に起こった。E君が切り出す「カメラは何を使っているの?」。「K5sだけど」。そう答えてしばらく経った。そして、しばらくして顔から血の気が引くのを覚えた・・・・。 カメラ・・・・・
さて、一体、我が身に何が起こったのでしょう?



    2015年5月12日 新潟県 美人林

「カメラ・・・・」、あっ!、カ、カ、カメラの本体を家に置いてきた・・・・交換レンズは確かに持ってきた、カメラのバッテリーもSDカードもちゃんとチェックした。確かにチェックした。が、それを家に置いてきてしまったkyuDocomo_kao18無残にも諦めが付き兼ねる中途半端な場所で思い出した。しかし車は高速道路の上だ。取りに戻るには金と時間が・・・。

ここまで書いて、時折、このブログを読んで頂いて、私を雇ってくれた現役時代の会社の方々の顔が浮かぶ、「嗚呼、これはきっと歳のせいです。どうか歳のせいとしてください。現役時代はこうでもなかったのです。現役時代はこうではなかった・・・・のですよ」。

ま、今更いいか。人生柔軟に。もしかしたら性格だったかも知れない極めつけのうっかり病を暴露して、我が懺悔としたい。
拍手 びっくり 見る 聞き耳を立てる リース 。
| 老真 | - | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
春去りぬ

2015年4月8日 雪の物見山 埼玉県比企郡鳩山町

カカトの痛みが消えない。もう、3ヶ月続いている。寝起きやソファーでくつろいだ後に立ち上がった数歩が痛い。そのまま歩くと痛さは4〜5分続くが、不思議なことに、しばらくすると痛さは少し和らぐ。それでも最初の数歩の痛さに耐えかねて、家の近くの接骨医や整形外科に行ってテーピングや赤外線治療を試みたが、あまり改善しない。



今年の1月まで続いていた1日1万歩の歩きの目標は、医者の忠告どおり、かかとへの負担軽減を考え、2月は1日平均6千歩、3月はさらに5千歩に軽減させた。医者の運動量削減の忠告は、とりあえずは寒さが残る春の間は続けてみようと思っていた。その春が過ぎた。このまま、運動量を減らすと持病の糖尿病には良くない。そう思って、4月からは逆療法、以前の様に1日1万歩のペースを復活させた。そして。その結果、「何と逆に痛みが和らいだ」・・・と、言いたい所だが、実は全く変わらない。かと言って、あれだけ歩いても、痛みが進行してるわけでもない。春が去り、夏が来ると何かと麦酒を飲む機会も増えるビールビールならば、糖尿病対策、今後も一万歩を復活しようと思っている。カカトの痛さよりも、糖尿病対策優先。



8年前、中山道を踏破した後は膝を痛めた。その時は腿の筋肉を強化したら膝痛が治った。ところが、よくよく調べてみたら、このカカト痛は足底筋膜炎という症状で、腿から下の足の筋肉が硬くなっていることも一因らしい。してみれば、膝痛克服の為の腿筋肉強化と関係があるかも知れない。何と繊細な作りだ。しかし、もう迷いはない。歩くペースは1日1万歩に戻す。一つだけ勇気づけられる事がある。膝痛の時の診断は、加齢によるものだったが、カカト痛の診断は若いスポーツマンに多いらしい・・・。拍手 びっくり にこっ! 。




写真は全て4月8日、埼玉県比企郡鳩山町物見山。




 
| 老真 | - | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
その日の細道

2015年4月4日 川越 新河岸川

「その日」の事だった。いつも、散歩道は柳瀬川の土手を歩くのだが、その日はどういう気の変わりか、無意識の内にふぃと土手から脇道に入った。気持ちの中で、少し行けばあるはずの古代種の桜「長勝院の旗ザクラ」を目指したのかもしれない。しかし、家の近くにあるその道は初めて見る景色だった。方向音痴の自分、どこかで道を間違えたのかもしれない。しばらく入り組んだ狭い路地を歩くと、今度は大きな広場に出た。広場の真ん中に大きな桜が一本立っている。見慣れない光景だ。目指すのはその桜ではないはずだ。桜の周りでは大勢の人が太極拳をやっていた。木の周りを太極拳をしながら回って、何だか盆踊りのようだ。その脇を通っていると、一人の女性が私に「あなたも踊れ」と言う。「いや、私しは体が硬いし無理だよ」「いや、硬いから太極拳で柔らかくするするのよ」「でも今は、桜の写真を撮りに行っているから」。



そんなやり取りが有り、広場を抜け出したあと、不思議なことに気づいた。何と今の会話は中国語だったのだ。会話中は全く自然でその時は中国語で話していることも意識しなかった。(ま、そのくらいの会話はできるにしても・・・・。)それにしても、なぜ彼女は中国語で話しかけたのだろうか? 見かけは全くの日本人だし、どこかで見たような気もする。どうして私が中国語を理解すると知っているのだろう? 何だか偶然が過ぎる。そして、私はカメラも持っていないのにどうして「写真を撮りに行く」と言ってしまったのだろうか。何故か、今思えば何か混沌としたものしか残っていないのだ。


その後、なんとか「はたザクラ」にたどり着いたのだが、実はどこをどうやってたどり着いたのか、今それを思い出すことはできない。気が付けば私は確かにカメラを構えて「旗さくら」を撮っていた。ひとしきり撮ったあと、また、もとの道を戻ろうと思ったのだが、今度は行きには無かった小さな川に出会った。そこには崩れかかった橋がかかっていた。ここを渡るかどうか躊躇ったが、欄干につかまりながら必死の思いで渡った。そして、どこをどう通ったのか、また、あの太極拳の広場に戻った。



すると、今度は太極拳の集団の中のおじさんの一人が 「あなたのカメラはあそこにあるよ」「エッ?カメラ?」おじさんの指差す広場の中央の桜の木の枝には私のカメラがぶら下がっていた。 そうだ、ここに来る途中で、私はカメラを無くしていた事を思い出した。 さっき吹いた大風のせいかも知れない。危ない思いをして渡った橋のせいで、少し息苦しくなり記憶を飛ばしてしまったのかもしれない。 混沌が続き、私はカメラを無くした事さえ忘れていたのだ。しかし、もっと振り返れば、そもそも、出かける時にはカメラを持っていなかったはずだったのに・・・・。 混沌に拍車が掛かる。ともあれカメラは有った。確かに私のカメラだ。私は慌ててカメラを取って「はた桜」を確認した。よかった、カメラのディスプレイには確かにあの「はた桜」が映しだされた。


 2015年 4月4日 我が家近くの庭 つばきの上に落ちた桜

こうして、この日の曖昧模糊とした細道の散策は終わった。しかし、残念ながら、ここではその写真に撮った「はた桜」を見せる事はできない。なぜなら、上の話は、昨夜見た夢だったから・・・・。我が「どこかの細道」は、時折夢の中をも散策する・・・。ジャン、ジャン♪♪。


    2015年 4月4日 我が家近くの校庭

と、まあ、ここまで書いて一夜開けると、今度はうつつの状態で本当に「旗さくら」を見たくなった。そして、今日、今度は確かにカメラを持って、目的を持って旗さくらを目指した。我が家から15分程度の行き道は、見慣れた小道だけだ。勿論、大きな広場もない、太極拳をしている人もいない。迷う事無くたどり着いた。旗桜はすでに散り始めてはいたが、まだその威容を残して咲いていた。

では、その、うつつの世界の「旗桜」をお見せしよう。









    
| 老真 | - | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ある過程
 
2015年2月15日 船橋市海浜公園三番瀬から ダイヤモンド富士

自分は年の割には元気だと思っている。昨年は歩く事だけを目的とした歩数が370万歩を超えた。1日平均11,000歩である。しかもかなりの早足で歩く。10年前の体力と比べても衰えたと思ったことはなく、「元気度」はかなりのものだと自負している。ジョギング

ところがである、この歩き過ぎが原因なのか、足のカカトに痛みを感じるようになった。痛みがしばらく続いたので外科医に診てもらった。どやら足の酷使で足底が押し下げられ、偏平足になり、足裏の腱が伸びてカカトの骨を引っ張っているために骨の一部が突起して神経を刺激しているらしい。これを治すためには足底の筋肉を鍛えると同時に運動量も少し控えなけければならないようだ。



  日雲 2015年3月7日 裏磐梯

もともと、歩き始めた理由の一つに糖尿病対策がある。その改善と進行を止めるためには歩かなくてはならないのだ。もしも運動量を減らさなけらばならないとすれば、糖尿病の進行に繋がる恐れがある。そして、思う。人間が老いて終焉を迎える過程には、このような所から始まって綻んで行くのだな、と。これまでは、少なくとも肉体的には痛みや不快を伴う自覚がなく、この元気さから自分の終焉を迎える過程が考えられなかった。その過程をちょっと垣間見た。

また、例えば、このカカトの痛みが10年前に起きていたとしたら、終焉までのストーリーにまでは思いは至らなかったと思う。この10年、少なくとも肉体的な衰えは感じなくても、こうやって些細なほころびからも精神的な衰えが芽生え始める。これも終焉への過程なのか。



   2015年3月7日 裏磐梯

かと言って、いつかも書いたように、自分はあと何年生きられるだろうか、東京オリンピックまでは、リニアカーの開通をまでは、等といったカウントダウン的思考はしないつもりだ。あくまでも、カウントアップ的思考を目指し一日を積み重ねる。垣間見た過程は仮定だとしたい。その為に、カカトの痛みを治す必要がある。これには足底の筋肉を鍛える必要があるそうだ。足底の筋肉を鍛える?さて、どうやって?
「タオルギャザー」という方法があるようだ。床に広げたタオルの上に本などの重しをのせて、タオルの端から足の指を使ってたぐり寄せる。歩き、四股踏み、ストレッチ、バットスイング、腕立て伏せ、スクワットに加えてタオルギャザーが1日の運動日課に加わった。

さて、カカトの障害、なんでも若いスポーツ選手にも多いようだ。そして膝障害は老人に多いらしい。それを聞いて・・・拍手
聞き耳を立てる 。 人間、都合がいいように解釈してしまうようにできている・・・。ニコニコ 


      裏磐梯

  

   2015年3月13日 小石川植物園














 
| 老真 | - | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |