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棚田七変化 −カメラの眼−


 
     
年に一度の我々写真クラブの写真展が終わった。私の展示写真は上の2点。すでに以前にこの「どこかの細道」で掲載したことがあるものだ。この2点に関する写真展の評価は、紅葉の写真はわりと評判は良かったが、下の棚田の写真は「その道のプロ」達の厳しい批判の的ともなった。批判と言っても目くじらを立てられるほどのことではなく、微笑みながら、からかうごとく「これ細工したでしょう?」って感じの加工、着色「疑惑」である。なるほど私はプロでないが、もしこれが他人の写真だとすると、やはり同じ疑惑を抱いたに違いない。ここは冷静にこの写真の出来上がりの成り立ちについて思い出してみる事にする。

その前に、この棚田の場所と規模について。
この棚田は中国雲南省の元陽県一帯に広がる棚田である。日本の棚田ように一畦毎の大きさや形が統一されておらず、それが故にアートのような象形をなし、その広さと共に圧倒される。ここは一つの山だけにあるのではなく、一山越え、ふた山超えて、途方もなく広がっている。全て人力で作られた田は1200年前の唐の時代から面々と築き上げられたものらしい。海抜が1,200メートルから2,000メートルの間まで何と5,000段以上も続く。これを作り上げたのは雲南省の少数民族ハニ族である。稲作の起源は揚子江近辺のあまり高低差がない所であるから、川のないここの棚田は、環境に適応する必要に迫られ、高低差を利用した少数民族の知恵から生まれたものであったのだろう。

さて、この写真の棚田の無色の水である。水に着色しているわけではない。田植え前に水を張っただけの田んぼだ。そこに朝日や夕日が当たると水の色が様々に色に変化する。

日の出前、薄明かりの雲間に見える水面はまだ白い、




霧が晴れ、日が登る、水面が動く、朝日と絡む



雲間から差す日が畦に当たり水面に照り、水の繕いが始まる、
それは一瞬、




日が高くなり、雲間は消える
  

やがて太陽が昇り、水面は青い空を写す



そして日が暮れる



元陽棚田の一日は、気象条件によって様々な色の変化が生まれる。私はただ単にPLフィルター(偏光フィルター)を付け、モードをいろいろ動かしシャッタ−押しただけで決して出来上がりをパソコンで着色したりはしていない。それが多少見た目とは異なるにしても、少なくともカメラの眼を通して見た風景そのものなのだ。だから別に後日パソコンで人為的に着色したのではないかとの「偽装工作」とはちっと違う・・・・。
説明になったか? 
びっくり なってなくとも簡単ながら、これにて 怒り 。

   *** ご来場御礼 ***

前回のブログでも案内の通り、2月12日から18日まで我々写真クラブの写真展を開催しました。開催中の来場者は約550名とほぼ昨年と同じでした。多くの方々のご来場誠にありがとうございました。皆様の叱咤激励は今後の励みになります。ここに謹んで御礼申し上げる次第であります。

と言っても、私が個別に案内をしている方々を除いて、このブログを見て来てくれた人はゼロ人でした。(多分)さらに、当ブログの閲覧者は、ほとんどが私の知人、友人であり(多分)何もこのブログ上で改まって大仰に「ご来場御礼」を申し上げる必要もないのでありますがですね〜、そこはひとつ、自分自身のイベントを少しでも華やかに、そして形式ばって飾りたてて、いわば形を変えたこれこそホントの一つの完全なる「偽装工作」ってことでございましてですな〜。つまり、人間かくも弱く自己防衛・・・うんぬん、かんぬん・・・・。ま、つまり、これも一つの細道って事でございます。
ヤッタv


 






 
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人生時計

  2016年1月23日 小石川 深光寺

新しい年を迎えたと思ったら、早くも4週間が過ぎた。正月、松の内の頃までは異常とも言っていいほどの暖冬。都内の銀杏の街路樹はまだ黄色い葉を残している所もあったし、近くの公園では蝋梅だけでなく、白梅も紅梅もほころんでいた。晩秋と初春が重なって四季の彩りが危うい。地球の温暖化はもしかしたら恐るべき速度で進んでいるのかも知れない。と、思っていたら今度は突然の寒波。雪が降ってきた。それでも忘れていた冬の寒さを体感し、オー、冬があったのかとむしろホットする。ともあれ、季節は突然、新たな舞台を創りだしながら駆け足で進む。あー、こうして人生時計の針も刻々と。と、まあちょっと刹那的新年。 



人の命を時計の24時間制の時刻に例える場合、年齢をで3で割った数を時間として表す事があるらしい。例えば60歳ならば3で割って20時。すなわち24時まであと4時間、つまり余命4時間ということらしい。そして私の場合は70歳。時計の針はなんと23時20分前後を指す。残された時間はもう1時間もないということになる。してみれば、残された時間を密度濃く過ごし、悔いのないラスト40分を全うすべきなのであろう。
少なくともテレビのドタバタバライティ番組など見て無為に過ごす時間は残されていないはずだ。が、これらの番組を「まったくつまらん!」と心の中で批判しつつも、チャンネルはそのままに結構夢中で見ている矛盾の中の自分がいる。こうしてためらいの中にも時は過ぎる。走馬灯の様に。

我々世代の集まりの中では決まって「年々時間が経つのが早く、1日があっと過ぎ1年が瞬く間に過ぎる」との会話が頻出する。少なくとも「近頃、めっきり時間経つのが遅くてね、一日がなかなか終わらん」。なんて事を言う人はこの世代ではまだお目にかかることはない。この速度、何とかならないものか。



 2016年1月23日 小石川植物園より

或る心理学者によると、歳を取るにつれ時間が経つのを早く感じる理由は「周りの世界が見慣れたものになってくると脳が取り込む情報量は少なくて済み、時間が速く過ぎ去っていくように感じる」となるらしい。してみれば、逆に周りの世界を見慣れないものにしていけば、脳は新たな情報の処理に時間を要し、時間の経過速度は抑えられる、という事になる。
それを実証すべく新年に当たって何か新たな経験をし、見慣れない世界へ足を伸ばす事を模索してみた。しかし、いきなり見慣れない世界へ踏み出すには、残り時間ゆえにやはりその意義と成果の事が頭をよぎる。妥協点があるとすれば、現状を少しだけ変える事を模索する、と言う事にした。

それで小さな変化に挑戦した。いつもの散歩道のコースを川の土手を下流から上流へと方向を変えた。朝のコーヒータイムの前の筋トレにストレッチを加えた、睡眠の友をラジオからスマホのYou Tubeの落語に変えた、風景写真を絞り優先からシャッタースピード優先に変えてみた。



  2016年1月23日 小石川植物園 鳥はハラシロ

こうして4週間。果たして時間の経過感覚は遅くなったのか・・・、それがですねー、全く変わらんとです。あっという間に4週間が経った。それはきっと時間も22時を過ぎれば、見慣れた走馬灯は加速度をつけて減速もままならないのであろう。件の心理学者はその事を見逃している。きっと彼の人生時計まだ20時前で加速度の法則を見落とした。

しかし、何も悲観することはない。人生時計にもサッカーやラグビーよろしくアディショナルタイムがある。それはきっと見慣れぬ世界へ踏み入れる度に増え続けるに違いないのだ。そう思って今年も見慣れぬ新たな世界へ模索していきたい。何事もポジティブにね。

って事で、今年も徒然なるままに、このブログを綴って行きます。
 


 2016年1月18日 我が家の近くで


   写真展開催のお知らせ

今年も私が所属する写真クラブが写真展を開催します。
未熟な作品ではありますが、近くにお出での際は是非
お立ち寄りください。
写真展の開催要領は次の通りです。

1.名称:第16回写写塾写真展
  「自然と共に・・・」

2.開催期間:
 2016年2月12日(金)〜2月18日(木)
 10時から17時

 
3.開催場所:
  富士フォトギャラリー新宿 
  新宿区新宿1-10-13 太田紙興新宿ビル1F 
  地下鉄丸の内線新宿御苑前2番出口徒歩2分 
  URLhttp://www.prolab-create.jp/gallery/shinjuku/

*私の作品は2点でタイトルは「照る山もみじ」と
「悠久の棚」です。 
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ヒミコ(卑弥呼)のつぶやき

  2015年11月28日 糸島市白糸の滝

先月、故郷の友人トシユキ君に福岡の糸島市にある平原遺跡に案内してもらった。その遺跡に立って、遠く海の方角を見渡すと、古代のロマンが蘇り幻想、妄想が脳裏を駆ける。そしてあの卑弥呼のつぶやきが聞こえるのである。


”私はヒミコ。後世の人々からは卑弥呼と呼ばれているようです。しかし、卑弥呼とは魏人が勝手にそう呼んでいるだけで、私は卑弥呼ではないのです。そもそも、卑(卑しい)弥(満ちた)呼(呼ぶ)、つまり「卑しさに満ち溢れたと呼ばれる」なんて、自ら名乗る事などありえないし、なんとも失礼極まりない呼び方ではありませんか。私は卑弥呼ではないのです。私は’ヒミコ’なのです。私の時代まだ漢字はありませんでした。漢字が大和の国で使い始められたのは私が死んで2百年も後のことです。ですからそもそも卑弥呼なんて自虐的な名前は有り得ないのです。私は’ヒミコ’。しかし、これは名前ではありません。私の時代はまだ名前を付ける文化はありませんでした。ヒミコは名前ではなくて私の仕事。女の私だけが持っている特権的な仕事なのです。そう、私の仕事は祈祷師。これは私の時代では女だけが行うことができ、それで人を束ねる事ができたのです。そのお仕事を国の人々は’ヒミコ’と読んでいたのです。



いま、国と言いましたが、私の時代は勿論、国なんて言う概念は無かったのです。ましてや魏人が言う邪馬台国なんていう「国」はありません。これも魏人が勝手につけた名前です。考えても見てください。邪(よこしまな)馬の台の国、これだって恥辱に満ち溢れた名前です。まして、漢字も無いのにどうして邪馬台国なんて名乗れるでしょうか? 魏人の悪意に満ちた名付で、憤怒の念で一杯です。繰り返しますが、私の時代は漢字も国の概念もない時代です。近隣の全ての「国」も魏人が勝手につけたのです。ただ、私の周りには私の能力を慕って多くの人々が集まりました。私は、飢饉や災害や疫病を私の祈祷の力で平定しました。そしていつしか、数万もの人々が私に貢ぎ物をし、私はその中から飢えで苦しむ人々に分け与え、やがて自然と中央集権らしい組織が出来上がったのです。


      糸島市 二見が浦

さて、その私が束ねた「組織」の場所についてですが、その場所は正に今、貴方が立ってる、後に平原と呼ばれる場所でした。私は多くの年月をこの平原で過ごしました。ご覧なさい、この完璧な地形を。背後の三方は山、正面は海。背後ではよそ者の侵入を防ぎ、正面の海は大陸や朝鮮半島からの文化の受け入れ口。その中間は扇状に広がる平らな地。温暖な気候に加えて、海の幸、背後の山からの新鮮な水に肥沃な土地。これほど理想的な地形はありません。後世の学者達は私の在り処を探し求めて、やれ墳墓だ、やれ銅鏡だ、やれ絹だ、と自分の先入知識を正当化する為に、これらの物と私を強引に結びつけようと躍起ですが、これらの物は、何も私だけと関連する物ではありません。それよりも、もっとよく見てもらいたいのはこの地形です。この地形は正に’ヤマとタイラ’なのです。後世の漢字に当てはめるとすれば「山平ら国」。魏人はつまり山と平原に恵まれたこの地域の事「ヤマ・タイラ」を、発音だけを聞いて「邪馬台国」と身勝手な命名をしたのです。大国の驕り極めりです。そう、そしてお察しの通り、この「タイラ」こそ、後の人々が平原(ひらはら)と呼んだ場所なのです。


    平原遺跡付近から見る糸島平野

ですから、例えばこれからもロマンと郷愁を求めて私たちの事をあれこれ探し求められるとしたら、どうか「卑弥呼」とか「邪馬台国」なんていやな蔑称で呼ばないでください。それは図らずも、あなた方のロマンあふれる気持ちとは裏腹に矛盾に満ちた呼び方なのですよ。私はあくまでも’ヒミコ’、私たちの集団の住む「組織」は’ヤマタイラ’なのです。

これで、貴方が探している邪馬台国と卑弥呼の居場所が分かりましたね。でも、貴方は肝心の
魏志倭人伝に出てくる「親魏倭王」に与えたとする金印が見つからない限りは、やはり納得しないのでしょうね。勿論、私はその金印の在り処を知っていますよ。しかし、それは今は言えません。今言ってしまえば、何十年と追い続けたこられた「幻の国」が完全に幻でなくなり、多くの考古学者のロマンを失わせる事にもなります。そして、正直言って、本当に現実のものなってしまえば私の事さえも忘れ去られることが、ちょっと寂しいのです。ですから、ここでは言いません。それが、今や私に許された唯一の楽しみですからね。金印の在り処はヒミコのヒ・ミ・ツ。 あ、最後はヤマタイの長にはふさわしくない下衆な洒落で締めちゃった・・・・。”


     糸島市雷山山腹から見る糸島半島

勿論、以上は他愛のない幻想・妄想にほかならないが、確かに平原遺跡からの景色を眺めていると、7万戸が住んでいたとする邪馬台国の規模、地形からして、そこに卑弥呼がいて、邪馬台国があることが何だか最も適しているように覚えたのである。最も、そこにもどこか郷里に加担するという、偏見があるには違いないのだが・・・・。

トシユキ君に平原遺跡を案内してもらった翌日、今度は写真愛好家の友人Cさんにお願いして、福岡市郊外の志賀島に車で連れて行ってもらった。ここはヒミコのちょっと前に漢王から下賜されたという金印の漢委奴王印が出土したところである(卑弥呼の方は親魏倭王)。しかし、残念ながらこの志賀島の金印公園は改修中で閉鎖。何と、私にも金印は遠かった。Cさんとはその後志賀島から足を伸ばして津屋崎海岸を目指した。その時は夕陽の撮影を場所を探してのことだった。古代への幻想から現実の世界へ。そして現実にも時折、幻想・妄想が重なる。福岡に帰るとこれを繰り返す。


      糸島市 平原古墳




 
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黄昏は彼方に

   2015年10月18日 北海道美瑛の丘より

そこは、我が家の近く、東武東上線の線路伝いの古びた小さなビルの2階にある。自動のドアが開くと「春の小川」のチャイムが鳴り来客を知らせる。季節は秋なのに。中に入るとすぐに使い古しの丸椅子が4、5個並んでいて、ちょっとした待合室になっているのだ。しかし、そこに座ってる客をこれまで見たことはない。いつも待つほどの時間は必要ない。

「いらっしゃい」。その日も待合室の丸椅子に腰掛けるまでもなくすぐに奥に通された。「こちらへ」、そう声をかけたのは70歳絡みのオヤジである。マスクからはみ出た顔は浅黒く髪の毛はモジャモジャである。「久しぶりですな」、男はポイントカードに記された手書きの日付を見ながらそう言って私の頭を撫でる。

チョキ、チョキ、ハサミの音はゆっくりとした2拍子。2拍おいてまたチョキ、チョキと2拍。動きが遅い。チョキチョキチョキ、昔のリズムは少なくとも3拍子。が、モジャモジャオヤジは2拍子を崩さない。切れ味を欠いたハサミは時折髪を引っ張る。部屋に清潔感はあまりない。古びたポスター、水道の蛇口には漏水防止の白いゴムテープがぐるぐる巻かれている。それにオヤジのモジャモジャ頭。「紺屋の白袴」ならぬ「床屋の不精髪」。ガラス越しには電車が映り。ガタガタと室内に音が響く。いかにも場末の床屋。それでも、仕上がりはそんなに悪くない。(もっとも、仕上がりが気になるほど我が髪の量は多くないが)。「はい、1,575円」。20分足らずでうまく仕上がる。気取らない時間が流れるこの場末の床屋の雰囲気が好きだ。



   2015年10月16日 北海道 白金温泉付近 青い池

「いやー、痩せたねー」。老先生は私を見る度にいつもそう言う。この「痩せたねー」のくだりは、2ヶ月に一度訪ねる「老先生」の私を呼ぶ時のいわば枕詞だ。ちなみに私の体重はここ数年全く変わってない。確かに10数年前から体重からは8キロ減っている。最初は、よほど10年前のあのメタボ体型の印象が強かったのだろう、とそう思っていた。だが、どうやらそうでないようだ。先月、この老医師の定期診察を受けた時「Uさん、今年は肺炎球菌ワクチンの割引年齢だね、やっとく?」と尋ねられた。「いや、先生、それは前回すでにやってもらいましたよ」。そう言うと老先生はカルテを見返しながら「あ、ホントだ、ハハハハ・・、おー、所でゴルフはどうだった?」。老先生はメモ魔だ。私との会話の要点はカルテにメモしてる。前回のゴルフ談義の事もカルテに書いていたのだろう、先生は肺炎球菌話をゴルフ話で繕った。そしてそれで分かったのだ、あの毎回の「痩せたねー」の私への枕詞はカルテのページの見間違いだったのだ。きっと毎回、カルテの最初のページだけを見てそう言っていたのであろう。

この老先生を医術の観点から見ればやや頼りない。しかし老先生は優しく親しげに話してくれる。気持ちが何となく落ち着くのだ。この先生に測られる血圧はいつも普段より低い。病院を変えるつもりは全くない。老医師はきっと仁術に長けているのだ。



     2015年10月16日 北海道 黒岳より

「あなたは、考えが甘い」妻がそう言う。今住んでいるマンションは14回建てだが、我家は2階でエレベーターが止まらない。「今はいいけど、いずれ2階までの階段が老後のバリアになり、この階段も登り降りできなくなる、そろそろもっとバリアフリーの場所を見つけて引っ越すことを考えないと」。妻は母親の介護の経験から、数段の階段が如何に生活に支障を来すか知っており、それを知らない私には階段の大変さがわからないのだと言う。「今、我が家の周りは老人所帯ばかり、2階に住んでいても、いずれそれがバリアにならない技術やサービスがビジネスとして発達する」私はそう反論する。2階でも不満はない。



おぼつかない手つきの床屋のオヤジ、記憶が曖昧な老医師、そして周りは秋の景色。なるほど、この景色は悪くない。が、秋の日のつるべ落とし。季節は一気に変わるかも知れない。いつまで妻の危惧に抗するか。せめて、階段の2段飛び、毎日1キロのバット200スウィング、5キロ50分の早歩きを続ける。

今日、ふと思い立って、机の引き出しの隅で1年間止まったままだった腕時計の電池交換をした。時計は何事もなかったようにまた動き始めた。まだ、黄昏は彼方に・・・。 




   上の写真3枚はいづれも美瑛の丘より
 
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彼岸花咲く細道

     2015年9月23日 柳瀬川右岸

もう10年も前の事である。東京日本橋から、京都三条大橋までの中山道を完歩したことがある。完歩と言っても当時はまだ会社勤め。一気通貫の完歩ではなくて、休日ごとの尺取り虫的な完歩。それが故に折々の四季に触れることもできた。

そしてあの関ヶ原を歩いていた時である。季節は秋の始め。田圃のあぜ道には彼岸花が咲き乱れていた。一人でのテクテク歩きは時折、空想や妄想や幻想の世界が広がり、挙句、自己流の物語へと展開させる。最初はあの彼岸花は関ヶ原の戦いで倒れた兵士達への手向けの花なのだろか、とのありきたりの空想だったが、いつの間にか、あの赤は傷ついた兵士の血によって産まれたもの。何千もの兵士がここで倒れ、血を流し、その血が地中に染みて、雑草の茎を抜けて赤い花となった。そう物語を作った。




我が人生を振り返って、何か一つの事を達成させたものがあるとすれば、それはあの中山道完歩だけかも知れない。それ故に、何かと様々な事を中山道の道中の思い出に重ねてみることが多い。

我が家の前を流れる柳瀬川の右岸を500メートルほど溯ると土手に彼岸花が咲いている。この花を見る時は今でも中山道で作ったあの小さな物語を思い出す「この赤は兵士の血」。




その彼岸花の群れの上に一匹の黒アゲハが飛んできた。黒アゲハは彼岸花の群れの上を何度も旋回したが、赤い花に止ろうとはしない。何度も旋回を繰り返し、挙句に止まったのは赤い彼岸花の群れの中にポツンと咲く白い彼岸花の上だった。あ、黒アゲハもやはり、赤い血の蜜を避けた。



そして、黒アゲハは白い彼岸花の蜜をたっぷり吸って、今度は迷う事無く一目散に土手の向こうへと飛び去った。もう、黒アゲハが戻って来ることはなかった。一夏だけの短い命の最後の一滴は、血の蜜をためらって、白を選び天界へと旅立った、のだろう。

確かに、中山道歩きで思いついた小さな物語は、このように今でも折に触れて思い出し、何かと関連付ける。しかし、それはもしかしたら、折に触れてではなくて「老いに触れた」かも知れない。先月、とうとう古稀を迎えた。古代より稀な歳なのだ。せめて小さな物語を作りつつ、老いに贖っていかないとね。
拍手 クラッカー








写真は全て2015年9月20日から23日までの柳瀬川右岸。



 
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夏枯れて

    2015年8月17日 伊豆修善寺から
     
安部公房の「燃えつきた地図」に続いて「他人の顔」を読んでいる。既に名が知れた小説なのでそのストーリーは大体わかってはいる。そして、起承転結という単純な枠にだけ当てはめたとき、自分であればこの物語は原稿用紙10枚もあればそれを完結させるに違いない。だから30数年前、安倍公房を読んだ時は、ついつい残りのページの分量を測りたくなるほど難解で疲労し、ただ読み始めたという義務感だけで活字を追っていた。それは、山に登るとき、疲労の中に思わず頂上を眺め、道のりの長さに悲観する、あの思いに近い感覚で読んでいたのだ。そしてついに、その前途を思い多難さに負け、多分10分の1も読まないうちに諦めた。しかし、齢を重ねた今は少し違う。小説家の真髄の在り場所を探る事が出来るようになったのだ。話の展開をあまり追わなくなった。芸術家は山を築き、谷を堀り、川を逆流し、闇を駆け、本能に挑み、心の琴線にまで触れながら話を進める。つまり、話の展開よりも文字や情景を鑑賞することができるようになったのだ。ストーリーとは離れてその情景を味わいながら読みすすめていく要領を心得たのである。


   2015年8月17日 伊豆修善寺

その安部公房の「他人の顔」を読み始めたのは7月の終わり、大腸ポリープ摘出の為に2年半ぶりに入院した時である。余談だが(もっともこのブログ自体は全て余談だが・・・)また大腸に大きなポリープが出来て入院した。前回の20ミリの大きなポリープに続いて今回も10ミリの大きさだった。

 
   
      2015年8月18日 伊豆七滝の出合い滝  

そして、担当医師からは「大きなものが2年間で出来るのは危ない、癌化しているかもしれない」と宣告された。幸いにも2週間後の組織病理検査の判定ではポリープは良性であったが、その判定結果が分かるまではやはり不安であった。正直言って、この間はあの「他人の顔」の暗く陰鬱な世界に入る事は躊躇われ、もっと楽しい夢を追いつつ、これを読むことから遠ざかった。

組織病理検査の判定から今日で既に20日近くになる。いつでもあの陰鬱な世界に入れるゆとりはあるのだが、まだあの「他人の顔」はまだ完読していない。だが、決して30年前の様に読むことを放棄したわけではない。活字の中に情景を鑑賞する事を心得た以上、別にストーリーを追わなくてもいい。そういう気持ちが、読む速度を遅らせる。そうやって情景を鑑賞しながら、今、51ページ目までを読み終えた。この小説の終結は342ページ目だ・・・・。(多分、30年前は超えた)。



     2015年7月8日 蜘蛛の糸

閑話休題
今、国会では安全保障法案を巡って与野党の攻防が続いている。法案の是非はよくわからないが、ともかく、将来の日本の命運を担う重要な法案なのであろう。何よりも国民一人一人が広い見地に立って、法案の中身を俯瞰して見ることなのだろう。決して「他人の事」としてはいはない。私はこれからも安倍公房の「他人の顔」を読みながら、安倍首相と野党との「安倍の攻防」を注視し続けることに・・・・。なるのかな??


・・・・って、まあ、夏枯れの話題の中で。




 
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雨に濡れた地図(3)

 2015年7月25日 志木市花火大会

帰省先の福岡でOさんとCさんの二人の策略にまんまと引っかかって、撮影旅行のつもりが長崎の片田舎にある「アンデルセン」という、不思議な「4次元パーラー」に行った。このアンデルセンの主人の「超能力」ぶりは10年以上も前からOさんから聞いていた。その主人に会う前のイメージは、仏頂面で目つき鋭い陰気なおっさんであったが、実際はユーモアと軽妙な話術で話が展開し、驚愕的なテクニックと共にやはり惹きつけられるものはあった。しかし、この種の類似のマジックは最近テレビでも時々見かけるし、所詮はその延長であろうと思っている。Oさんの様に、彼が空間や時間を操る「超能力者」として信奉する事はせずに、彼は「超」能力の持ち主なのだと、まあ、クールに分析することにしておこう。ただ、この「超」能力者の信条は「様々な現象は偶然ではなく必然、シンクロ二シティ現象も起こるべくして起きるのだ」と言う事だが、果たして次の日に起こったシンクロ二シティ現象も起こるべくして起こったのだろうか? それとも単なる偶然なのだろうか?



「アンデルセン」訪問の二日後、福岡では空白の時間があったので、時間につぶしにマッサージでも行こうと、スマホで「天神近くのマッサージ屋」を検索して天神のオフィスビルの中にあるマッサージ店を検索し予約した。そのマッサージ店は天神のオフィスビルの地下にあった。その日は日曜日で夜のビルの地下の人影は殆どなかった。マッサージ店に向かって歩いていると、ふと目にしたのが「Z化粧品」のショールームだった。このZ化粧品、理容美容院関係ではその名は知られているが、世間的な知名度は大手のそれではない。実はその二日前、Oさんと組んで私を「アンデルセン」まで「拉致」したCさんは美容業界に勤務し「Z化粧品」の事はよく知っておられた。そして、偶然にも前日にCさんとこの「Z化粧品」の事を話題にしたばかりだった。実は私はこのZ化粧品の前オーナーとは懇意にしていたのだ。4年前に彼は他界したが、私のこのブログ「自画像」(2011年8月)、「我是ムッシュジャポネ(3)」(2011年10月)、「江南の春(1)」(2012年4月)で度々登場したAさんである。久しぶりにAさんの事を思い起こし、Aさんの事を話題にした翌日に、全国でも数箇所しかないAさんの会社のショールームが、ネットで誘われたマッサージ店と同じ狭いビルの地下に突如として現れようとは思いもよらなかった。



さて、この「偶然」はそれだけではない、当日マッサージを終わって、もう一度「Z化粧品」のショールームの前を通って、ついでにビルの地下を一回りしていると、なんとそのコーナーには二日前に「アンデルセン」への旅から戻って3人で食事をした海鮮レストランがあるではないか。つまり、マッサージ屋を真ん中に、コーナ−を回ったところに「Z化粧品」のショールームが、そして反対側のコーナーを回った所には3人で食事をした「海鮮レストラン」があるのだ。狭いビルの地下は、それでも出入り口が数箇所あって、違う入口から入ったために、それぞれが同じビルだとは全く気がつかなかった。いや、例え気がついていたとしても、このビルを巡る三つ巴の関係は不思議なシンクロなのであろう。
所が、この「偶然」はまだ終わらない。実はこの「海鮮レストラン」は、昨年、やはりこの時期に来福した時に昼食を共にした高校時代の友人トシユキ君ともここに来ていたのだ。さらに、トシユキ君に言わせると「ここは6年前、久住登山の後に開いた同窓会と同じ場所だよ」。という事だ。この時の事も我がブログ「記憶の干渉」(2009年6月)に書いている。




私の住まいである埼玉から遠い福岡の地の一つのオフィスビルをめぐって起きた4つの出来事が「偶然」であれ「必然」であれ、それは例えばネガがポジになった事にも似て、思いがめくるめく。ともあれ、その起きた事実のタイムリーさにはやはり四次元オーナーの言葉を意識せざる得ない。そして、もう一つ、正に読みながらポジがネガに、ネガがポジになるような偶然と必然が反転しする、不思議な国への入口の様な「燃えつきた地図」を、この福岡での起きた「偶然」と殆ど同時期に読んだタイムリーさを重ねると、うまく整理できない不思議な感覚はある。そして、Cさんと行く事にしていた、大分方面への撮影ドライブは雨の為に近場に切り替え、あらかじめ用意していた「地図」は用をなさなかったが、代わりに回った唐津や糸島はいつの間にか地元ではないはずのCさんの方がずっと詳しく、なんだかむかし見慣れた感覚は、実は真の記憶ではなくて、単に既知感を合理化する為の口実に過ぎないような感覚を呼び起こした。つまり私の中で描いた地図はいつの間にか雨に濡れて、ここでもまたポジがネガに反転し、シンクロと既知感が交錯した様で、少しばかり不思議な、しかし、ほんわり仄かな思い出深い旅だった。




 
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雨に濡れた地図(2)

 2015年7月4日 糸島市 白糸の滝 

40年前に途中で読むのを止めた安倍公房の「燃えつきた地図」をあらためて読み始め、今度はなんとか読み終えた。この小説、なんだかフランスの小説でも読む様に、一時の時の流れを、一瞬の出来事を、これでもかこれでもかと拡張させる。その余韻が時には散漫にはなりつつも、頭の中でかろうじてビジュアルなものに組み立てることができた。細切れのパッチワークを見事に紡ぐ匠の技は、やはりプロのなせる技。40年前に読んだときは活字を追う眼がパッチワークについていけず、ストーリーが雲散霧消し退屈になり、読むのをやめてしまった。やはり年と共に蓄積されたのであろう様々な光景や、角度を変えて文章としての表現力を味合う余力が小説の中でも重ねることができたからかもしれない。

燃えつきた地図の背景は、おのれの心の地図を焼き捨てて、混ぜんとした砂漠の中の地図の様に、どんな出口も見出せない都会の孤独と不安の中に自分を置くものだ。40年経って、時代とともに都会の風景も、世相も、もっと複雑な地図に変わったはずなのに、都会人の孤独と不安は、やはり都会人の性として、きっとその深層は複雑なままに変わることもないのだろう。



   2015年7月4日 唐津市 見返りの滝 

先月、所用で故郷の福岡に帰省した。所用が済んで、地元の先輩のOさんの運転で、写真好きなCさんと共に長崎方面にドライブに出かけた。ドライブと言っても、昨年は雨の為に果たされなかった「撮影旅行」に再チャレンジするつもりであった。しかし、なんと、到着したのは「超能力者」としてOさんが信奉するオーナー経営の長崎の川棚にある「4次元パーラー・アンデルセン」と言う喫茶店であった。このアンデルセンの事はOさんに何度も聞いてはいたが、私はもともと、超能力とか異次元とかシュールな世界にはあまり興味がない。だからあまり行く事に興味を示さなかったのだ。そんな私に正攻法では動かないと思ったのかOさんはCさんと「共謀」し、この喫茶店に到着するまで行き先は「大村湾」とだけだ言ったきりで目的地は最後まで曖昧なままにここに着いた。てっきり「大村湾の島のある風景」ばかりを想像していた私は、二人の策略連携プレーにまんまと引っかかった。

さて「4次元パーラー」での数々の不思議な「マジック」の話をすると長くなる。それはまたの機会としたいが、OさんやCさん言わわせるとオーナーの信条のどおり「全ての現象は、偶然ではなくて必然、(私は)来るべくして来た。」。となるらしい。さらにOさんに言わせれば、彼自身の体験として、初めて四次元体験をしてからは、「びっくりするほどのシンクロ二シティが多発した」そうだ。私は、4次元パーラーでの体験は想像以上のものがあり、ある意味驚愕の連続ではあったが、しかしそれでもOさんの様にオーナーを「超能力者」とは思わなし、あくまでも「卓越したテクニックの持ち主」の域を出るものではない。しかし、Oさんが経験した「多くのシンクロ二シティが発生した」事実は、なんと私自身にもその直後から多発した事には少し驚いている。

少し長くなりそうなので、この続きは次回に。

閑話休題
以上の文中で私は最近読んだ本は「燃えつきた地図」と書いたが、実はもう一冊の本を読んだ。それは最近多くのメディアでも取り上げられている「七十年目の恋文」という本だ。作者は93歳の女性。27歳で戦争で亡くなった夫へ、その亡き後も綿々と恋文を書き綴った物語だ。その本の作者は大櫛ツチエさん。つまり、このブログに登場するOさんのお母さんである。この本の事は7月21日のNHK歌謡ショーでも登場する。



   2015年7月6日 福岡佐賀県境背振山から




 
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雨に濡れた地図(1)

 2015年7月4日 佐賀県唐津市 見返りの滝 

ここ数年、本らしき本を読んでいない。いつもの散歩道から見える図書館の窓辺には、既に一線を引いた我々シニア世代が、老眼鏡を鼻に引っ掛けて黙々と本を読んでいる姿が見える。電車の優先席の老人達は、スマホばかりを見る人々へ、何かの警告でも発するかのような目つきで単行本を広げる。同じシニア世代として、本来はそうあるべきかも知れない。しかし、年と共に芽生えた偏屈心がそれを遮る。今更他人が書いた本から何かの知識を得たとしても、それは誰かとの会話の材料になった後は、あるいはその前に、きっと忘却の彼方へと消えて去ってしまう。もはやそれは、終局としての自分の人格形成の蓄えとはならない。今は、本を読むのではなく、過去に読んだものからの薫陶を得てここに実践し人生の最終集とする。それこそがこの年代ではないか・・・・。

・・・・とまぁ、大げさに言えばそんな気持ちもないでもないが、簡単に言ってしまえば、本を読むよりも、語学の単語一つ覚えた方が私には合っている。そう思って本を読まなくなって久しい。



 
ところが、最近、妙に昔を回顧する時間が多くなり、その回顧の一つに、昔読んだ本の事もあり、ふと、未消化なままに終わった安部公房の小説が浮かんだのだ。もう、40年以上も前のことだが、タイトルに興味を惹かれ安倍公房の「燃えつきた地図」を読み始めたのだが、当時の若さの中にはあの、シュールなのかリアルなのか、その感覚が左右にぶれて、4分の1も読まないうちに、読むのをやめてしまった。所がどうしたことか、昔への回顧の中で、ふと「今、安倍公房を読んだらどうなのだろう」と思い始めたのだ。そして、先週、今や文庫本となった「燃えつきた地図」を買って読み始めた。



勿論、この本を読んで、今更人生の終章への糧とするつもりはない。ただ、若い時の印象や感覚と、今がどう違うのか、自分自身の価値観の差異を測って見たいと言う興味だけからである。


 2015年7月6日 福岡県糸島市 二見が浦 

さて、その結論は・・・、と言いたいところだが、まだ読み始めたばかりである。その結論は読み終えた後に述べることにしたい。(次回へ続く)
 
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思い込み症候群

  2015年5月8日 乗鞍高原 一ノ瀬園地 水芭蕉と水面の乗鞍岳

これは笑い話しなのか、悲劇なのか、それとも黄昏時の眩暈なのか。
1ヶ月前、近くに住む写真塾のAさんを誘って、秩父の山里に撮影に出かけた。撮影スポットの近くの駐車場に車を停めて、Aさんとは2時間後に再びこの駐車場で会うことした。それまで、各々撮影スポットに向かう。「悲劇」は最初のシャッターを切った時に起こった。何と無情にも「バッテリーの容量がありません」となり、一枚もシャッター切ることが出来なくなったのだ。「おかしい、最近充電したばかりなのに」、と振り返ってみると、充電したのはもう一台のカメラの方だったと思い返すことができた。Aさんとの待ち合わせまで2時間。幸い歩くことも趣味の一つ、ここは撮影を諦めて、2時間近く野を越え、丘を越えて、「もうひとつの細道」で1万五千歩達成!。2時間後、駐車場で件のAさんが笑顔で迎える「いい写真撮れた?」。
「え、まあ、なんとか・・・・」。まんざら嘘ではない。手持ちのスマホで確かに数枚の写真は撮った・・・・・。



      乗鞍高原 白い木は、すもものの木。

2回目の「悲劇」は、これもまたAさんとは別の写真仲間グループで新潟の越後湯沢付近まで泊まりがけの撮影旅行にだかけた時だ。
今回は先の反省を踏まえて、バッテリーは念入りにチェックした。2日がかりの撮影旅行だ、バッテリーチャージも予備の電池も準備怠りなかった、はずだった。が、悲劇はまたしても一枚目のシャッターを切った時に起こった。何と今度は「カードが挿入されていません」ときた・・・。そう言えば、昨日、パソコンで以前撮った写真の整理をする為にSDカードはパソコンに入れたままだったことを思い出した。思い出すのは簡単だったが、この先の振る舞いをどうするか、それを考えるとちょっと複雑だ。バッテリーやSDカードを忘れることは写真は趣味の内といえども、それを嗜むに値しないほど基本的な失敗だ。いっそのこと、皆の手前、シャッターを押す素振りだけして2日間演技してみようか。しかし、それほどの演技力も自信がない。勿論、ここは山の中、近くにカメラや等あろうはずがない。恥を偲んで同年齢のSさんに「SDカードの予備持ってない?」と尋ねた。Sさんは、黙ってバックを探って新品のSDカードを渡してくれた。「念の為に持ってきたんだ」。プロはこれが当たり前、そうは言わなかったが、眼が語っている。



       乗鞍高原

救いの神のSさん、しかし彼には数週間前のバッテリ容量切れの事は話してはいない。したがって、私のうっかりは、Sさんには「ま、時々誰でもある事」にとどまっているはずだ。しかし、我が心中はそれほど穏やかではない。1ヶ月の内に2度の、しかも、基本的なうっかりである。心が折れまくる。しばし、神を欺くことにした。


    2015年5月12日 新潟県清津渓谷

だが、物語?はまだ終わらない。つい、4日前の事である。会社時代の同期と同期の一人が持つ群馬の山荘で2泊3日で同期会をやった。撮影会ではないが、山奥と聞いて写真心が燃えた。野鳥もいるはずだ、と、650ミリの大型交換レンズも持っていくことにした。このレンズを支えると為には大型の三脚もいる。この2つだけで総重量は30キロは越える。群馬までは車で行く。積めるものは何でももってけ、のカメラマン根性だ。「電池よし! SDカードよし!、レンズよし!」。過去の失敗を踏まえ、心の中で叫ぶ。チェックは万端。これで、野鳥を撮って、写真仲間に差をつける。「ウッ シッ シッ!」。顔がほころぶ。


     清津渓谷
こうして、大型レンズ、大型三脚の重装備一式を車のトランクに積んで、目的地に向かった。そして、悲劇は途中、ピックアップしたE君と車の中で雑談を交わしている時に起こった。E君が切り出す「カメラは何を使っているの?」。「K5sだけど」。そう答えてしばらく経った。そして、しばらくして顔から血の気が引くのを覚えた・・・・。 カメラ・・・・・
さて、一体、我が身に何が起こったのでしょう?



    2015年5月12日 新潟県 美人林

「カメラ・・・・」、あっ!、カ、カ、カメラの本体を家に置いてきた・・・・交換レンズは確かに持ってきた、カメラのバッテリーもSDカードもちゃんとチェックした。確かにチェックした。が、それを家に置いてきてしまったkyuDocomo_kao18無残にも諦めが付き兼ねる中途半端な場所で思い出した。しかし車は高速道路の上だ。取りに戻るには金と時間が・・・。

ここまで書いて、時折、このブログを読んで頂いて、私を雇ってくれた現役時代の会社の方々の顔が浮かぶ、「嗚呼、これはきっと歳のせいです。どうか歳のせいとしてください。現役時代はこうでもなかったのです。現役時代はこうではなかった・・・・のですよ」。

ま、今更いいか。人生柔軟に。もしかしたら性格だったかも知れない極めつけのうっかり病を暴露して、我が懺悔としたい。
拍手 びっくり 見る 聞き耳を立てる リース 。
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